強い余震がいわき市を襲う・南部の田人地域が大きな被害

4月11日、12日の余震は、復興にむけ頑張るいわき市に再び大きな打撃をあたえました。一時は市内全域で停電となり、回復しつつあった水道も、多くの地域で断水となりました。特に12日の余震は直下のもので、田人を中心に大きな被害をもたらしました。
田人町石住ではがけ崩れが起き、3人が亡くなり、御斎所峠は大きな道路隆起陥没や土砂崩れが起きました。また、田人中学校では体育館やプールが傾き近くの道路も車の通行ができなくなりました。お年寄りや一人暮らしの方などが支所脇の公民館などに避難しました。井戸沢断層が動いたのでしょうか?。浜から内陸の古殿方面がひどいです。関係機関に早急な対応を求めました。

写真は、御斎所街道はがけ崩れ・道路隆起陥没で通行不能に

 

写真は、田人中体育館プールが傾く


写真は、住民の皆さんから要望を聞く


写真は、せっかく直ってきた水道がストップに

測定した放射能値と発表された値はほぼ同じ・原発学習会

10日、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表の伊東達也さんを囲んだ勉強会が行われました。伊東代表は自分が持っている放射能測定器の値と発表されている数値はほぼ同じと言います。現在は1マイクロシーベルト以下なので注意深く報道を見ながら生活をしていけば大丈夫と。ただ、20マイクロシーベルトが長く続いた場合や一挙に200マイクロシーベルトになった場合は、避難も考えたほうがいいでしょうとのことでした。日本共産党は、日本と世界の英知を結集して、福島原発事故の一刻も早い収束を図ることを強く求めています。
写真は、伊東さんの講演


写真は、私の津波震災の報告

震災から1ヶ月、復興が進む地域を日本共産党中央委員会と県委員会が視察・関係者と懇談し要望を受ける

震災ご1ヶ月になる、4月10日、日本共産党中央委員最上清治さんと県書記長町田さんがいわき市を訪問し、津波の被害にあわれた現地の生の声を聞き、関係者と意見交換しました。また、いわき市災害対策本部も訪問し激励要望も聞きました。


写真は、錦町須賀にて


写真は、小名浜港にて

3週間ぶりに帰ってきました・人工透析のMさん

大震災の日からいわき市で人工透析ができない病院が続出しました。病院そのものが被害にあったり、水や電気などのライフラインの喪失などの要因がありましたが、原発災害でお医者さん看護師さんなどのスタッフの避難、また、いわき市に必要な資材が入ってこなくなったなどの要因が加わりいわき市の場合はより深刻になりました。一刻の猶予もできない人工透析の皆さんはの悲痛な叫びは深刻でした。Mさんは、バス10台でとにかく行く先もそこそこに他の都市に散らばったといいます。東京に行くことになったMさんは、避難所を3箇所転々として、人工透析を行い3週間たって帰ってきたとのことです。私のところにもガソリンがなく透析にいけないという人からの電話が続出しました。みんながわずかばかりのガソリンを持ち寄って誘い合って透析にいけたという報告もありました。今も人工透析新患の受け入れは厳しいです。いわき市の医師不足は、震災前も大変でしたが、その対策はよりいっそう重要になっています。
写真は、庭の椿、考えてみれば梅も見ず桜が咲いたのもわからずの日々でした。

「くそー!こんなところで死んでられっかー、そうやって船残したんだ!」・相馬の漁民の方と懇談

4月7日、市会議員の渡辺博之さんと相馬港・漁港・地域の被害の状況を調査し漁業者の方と懇談しました。相馬港・漁港とも被害の状況はいわきの規模やひどさとは比べ物にならないほどのひどさです。それでも漁業者の皆さんとの懇談では、船を10マイル(1600m ×10)も沖に出して(あの津波の中)命がけで船を残したんだー、こんなところで死んでられっかーとがんばったんだという話になり、行動を起こそうという話になりました。

写真は、進む仮設住宅


写真は、遠くに相馬火力発電所


無事な船


以下は、破壊された相馬原釜漁港

写真は、相馬原釜港


写真は、復旧目指す松川造船


写真は、相馬磯部地域。
磯部地区は、もう1ヶ月近くになるのに見渡す限り泥の海で、ここに家々があったなど考えられないような状況でした。避難も地形的に困難で多くの方々がなくなったとのことです。今日も遺体のの捜索が行われていました。うちの親戚もこの地域にいましたが、たまたま外出中で難を逃れたとのことでしたが、多くの知り合いがなくなったといいました。
写真は、一面泥の磯部地区、もっとも被害のひどかったと


写真は、泊めていただいたて食事もご馳走になったNさん宅

東日本大震災・原発震災の相談窓口のお知らせ

3月11日午後2時46分,三陸沖を震源とする巨大地震に福島県も襲われ,強烈な揺れと大きな津波によってこれまで経験したことのないような甚大な被害が発生しました。それだけでも耐え難いことなのに東電福島第一原発が大量の放射能を放出し,地震被害に原発の放射能被害が重なった,世界で初めての「原発震災」となりました。8万数千人がふるさとを逃れ,いつ戻れるのか分からず生活そのものが根底から覆させられています。また,放射能による環境汚染は関東にも,海洋にも広がりだし,「世界最大の公害」になりかねないものとなっています。東電と政府はなんとしてもこれ以上の汚染を食い止めるためにいっそう全力を注ぐことが求められています。
福島県内の被害は工業,商業,農林漁業のすべての産業におよび,失業だけでも原発30キロ圏内で約4千800事業所の労働者5万8000人の可能性があると見られています(3月29日 福島労働基準監督局発表)。農産物は一時,出荷停止や摂取制限が出ただけでなく,風評被害が広がりだしています。漁業も全く見通しが立たなくなっています。多くの人が人生の根底を崩されようとしています。
すでに私たちのところにも,今後の生活をどうするかなどの相談が寄せられています。一人ひとりの相談内容に違いもあると思いますが,いまを生き延びるための共通点を見出して行政や顧問弁護士にもつなぎ,また,中長期的には法律改正や賠償を求めていく準備をするため,相談窓口を設けました。

<相談窓口> 地震,津波関連は いわき市労働組合総連合(市労連)
いわき市内郷御厩町三丁目101 教育会館内
電話 27-3322(フアックス兼)
原発震災関連は 原発の安全性を求める福島県連絡会臨時窓口
いわき市平字北目町39の11 伊東達也宅
電話 23ー0488 fax 21ー9246

写真は、相談窓口発足にあたり、伊東達也さんの放射能などの講演

急がれる小名浜港の復旧・雇用問題深刻に

4月4日、長谷部さんと小名浜港の状況を改めて視察しました。またそこで働く人たちからの声を聞き、小名浜港湾事務所に激励と要望を届け意見交換をしました。小名浜港から物を運び込み操業している会社は多いです。大手の会社が今回の災害でストップをし多くの働く人や子会社が危機に陥っています。大手の会社の操業時期などを示してもらい下請けや関連会社にがんばってもらうよう働きかけることが大事なことも伝えて協力もお願いしました。

写真は、小名浜の被害の状況


写真は、水浸しになった小名浜港港湾事務所の書類

復旧前進に重機が必要・同じ被災者住宅に入りたい

津波などで壊滅的な被害を受けた方々の復旧活動が始まっています。その仕事は本当に大変です。精神的肉体的な疲労の中で体調を崩す人も増えています。重機がないとなんともなりません。早急な対応を求められました。また津波は地域一帯を破壊しているので、お互いに支えあうことが必要です。被災者住宅はぜひ同じところに入りたいと要望を受けました。


写真は、破壊された小浜渚地域の堤防


写真は、重機を待つ地域

写真は、懸命に津波の被害の住宅を片付ける皆さん

元気にスタート・鮫川河川敷産直販売

原発の風評被害に負けないで、今日から鮫川河川敷で農産物の産直販売が始まりました。午後からは農村地域を訪問しました。近所のスーパーから当分野菜はいいですと言われた人も。方向の見える原発の発表がほしいです。


写真は、車で野菜を持ち寄った皆さん。