宝鏡寺・早川先生亡くなる・原発の危険性を最後まで

2022年12月29日、原発の危険性に、作るときから、運転してから、事故を起こしてからも、全力を尽くされた早川篤雄さんがお亡くなりになりました。心からのご冥福をお祈りします。ありがとうございました。宮川えみ子のブログにもそのが活躍を記させていただきました。

2018年6月15日。19年5月3日。19年7月25日。20年3月13日。21年3月11日。21年8月6日。22年8月6日。22年「10月15日。13年2月11日。21年6月21日。

いわき市民訴訟原告団長の伊東達也です。このほど入院して体力の回復に期待てしておりました早川篤雄さんが、昨夕(5時過ぎくらい)みなさんの願いもむなしくご逝去されましたことをご連絡申しあげます。

彼の念願だった「鎮魂の碑」や「伝承館」、それに「非核の火」の取り組みが、軌道にのって来ていたことが、唯一の慰めかと思いつついます。入院の最中にあっても彼の心中は、「いわき市民訴訟」「国の責任」についての判決の在り様でした。最期までこれまでの裁判の資料に目を通していました。

残された私たちにできることは、3月10日の判決で「国に責任あり」を勝ち取ることだと、肝に銘じているところです。今後の日取りが決まりましたので、連絡申しあげます。記】1)1月6日(金) 午後6時から通夜。2)1月7日(土) 午前11時から告別式。3)通夜、告別式とも「宝鏡寺境内」で行います。したがって、いずれも外での会葬になりますので、  防寒着などの着用をお願いします。(4)埋葬形式は「土葬」で行います.。

<早川> 左をクイックして読んでください。    科研費基盤研究(c)16K04108
「災害経験と被害の社会的承認―環境社会学の視点から」(代表・関礼子)
調査研究報告

丹治杉江さんのフェイスブックより<2022年12月29日>

福島県楢葉町の宝鏡寺ご住職であり、原発事故避難者訴訟原告団長の早川篤雄さんが本日ご逝去されました。本当に悲しくて、悔しいです。もっとお話ししたかった、もっとご一緒に原発と闘いたかった。早川さんももっともっと生きたかったでしょう、伝えたかったでしょう。私自身、避難してから100回以上群馬や新潟や埼玉や茨城の皆さんを福島被災地実態視察にご案内し、途中必ず宝鏡寺に寄り、早川さんのお話を参加者の皆さんと伺いました。本当に「原発」の罪深さは勿論、人間のやさしさ、強さ、そして弱さや悲しさも教えて下さった早川さん。2011年夏、私が群馬に避難を決めたものの「うしろめたさ」に苦しんでいた時、放射能からは逃げられるんなら離れた方がいいに決まっている。福島から仲間からやむなく離れたからこそ、泣きながら、引きちぎられるような思いで避難したからこそ、できる原発問題との闘いがある。丹治さんにはその道を歩んでほしい。」私が10年原賠裁判で先頭に立って闘ってきたのも早川さんがいつも「がんばっているね」と言ってくださったから。交通事故で足の手術をした時も一番早く大丈夫か!」と電話くださった。早川さん有難うございました。日本中の原発いらない!と叫ぶ仲間の皆さん、命を削って原発と闘った早川篤雄さんにさよならと感謝の黙祷お願いします。 
以下、安斎育郎さんからのメールです。写真は、今年3月11日、宝鏡寺を訪問、伝言館前で撮したものです。
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みなさま
福島県双葉郡楢葉町大字大谷字西代の宝鏡寺第30世住職の早川篤雄氏は、呼吸器不全と闘病していましたが、2022年12月29日14時50分、永眠されました。
和尚は、1939年10月16日生まれ、満83歳でした。命に対する限りない愛と、科学の力を踏まえて、自ら信じるところに従って「生きたいように生きたい」を合言葉にほぼ半世紀にわたって共同してきた同志として、私は悲しみの極にあります。
この上は、早川千枝子夫人らのご遺族、および、50年来原発批判の活動を共に取り組んできた伊東達也氏らと協力して、創建以来617年の歴史を刻んできた宝鏡寺の存続・後継問題について活路を見出し、そのことと連動して、非核の火、原発悔恨・伝言の碑、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館および未来館の発展的存続の道筋を確かなものとすべく、全力を傾注したいと考えています。
皆さまの変わらぬご支援・ご協力を切にお願い申し上げます。和尚は年末の慌ただしい時期に逝去されました。葬儀の持ち方や告別式の予定などにつきましては、ご遺族のご意向によって定められます。皆様にお伝えできる情報が得られ次第、改めてお知らせ申し上げます。
安斎育郎

 

宝鏡寺・早川先生亡くなる・原発の危険性を最後まで」への2件のフィードバック

  1. 早川篤雄さんの訃報に胸を痛めておりました。
    明日の地元での集会に千枝子さんの絵手紙を展示して、篤雄さんのご功績もご紹介したいと思い立ち、何しろ厳しい選挙戦もあって思いついたのが日曜日、その夜千枝子さんに送付をお願いして福井の親しいメンバーに連絡。福井もしたいとなって月曜日に追加依頼。今届いたとことです(郵送も時間がかかります!)。間に合いました!「原発悔恨・伝言の碑」は写真用光沢紙印刷しました。あとはこちらの写真と記事を印刷させてただきます。篤雄さんのことをよく知りたいとくつものサイトを開きながら、その偉大な行動力・精神力にいまさらながら頭を垂れるばかりです。胸いっぱいになりながら、私もできることを頑張っていこうと気持ちを新たにさせていただきました。
    敦賀市の今回の選挙は国の政策転換になびくような元候補者と新候補者が複数出てきて、厳しい戦いになります。2議席は絶対確保したい!負けてたまるかと連日行動しています(候補者夫妻は他の運動と掛け持ちで休みなしです。みんな気をつけような!と互いを気遣いながらの毎日です)
    愚かなのに権力だけを持っている原子力村に繋がる人たちへの闘い、悔しいけれどしんどい、しんどいけれど黙っては引き下がれない!引き下がったらおしまいですものね。共に頑張りましょう!ありがとうございました。

  2. 橋本千歳様へ
    コメントありがとうございました。
    体に気を付けて大いに頑張りましょう
    宮川えみ子
    わたしも今年10月に県議選挙、5期目挑戦です

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