7日、常磐地区9条の会で「戦争体験と安保法制を語る会」があり出席市懇談をしました。小学校3年生で疎開した女性からは「お月夜が恐ろしい・富士山めがけてアメリカ軍の飛行機が空襲に来た」。3日違いで東京から埼玉に移った90歳の女性からは「あんなに離れていたのに東京の方の空は真っ赤だった」。78歳の男性は「戦後もひどかった・闇で買い出しに親は行ったが、食べ物を列車の中で摘発され食べるものもなかった、ボロボロの服だったがグローブだけがあり野球をした」。
写真は皆さん熱心にお話をしてくれました。
台湾から引き揚げてきた71歳の女性は親に聞いた話で「台湾の人に無理やり日本語を使え・日本名を名乗れとした事が、台湾の人は苦しかったのではないか戦後暴力を振るわれたと聞いた」。78歳の女性は「戦地で父は死んだ、母は再婚した、自分は空襲の事もあって祖父母の実家に預けられた、自分の感情を表現できない人間になった」などなどあっという間の時間でした。
写真は、私も母親から聞いた満州からの引き上げの話をしました
私は、親から聞いた満州(今の中国東北部)からの引き揚げの話をしました。戦争反対を貫いた日本共産党にたどりついた、日本共産党を大きくすることが平和を守れることだと思って活動している、戦争法を何としても廃案にしたいと言いました。