今日は8月15日です。太平洋戦争が終わって71年目です。皆で少しだけ平和を考え少しだけ行動して、平和な国が続くよう力を合わせましょうと街頭から訴えました。
私は、戦争直後満州(今の中国東北部)で生まれ、生後半年で親に連れられて日本に引き上げてきました。母は、(あんたは)よく助かってくれた、子どもは栄養失調と病気で引き上げ途中でみんな死んだと言ってました。なぜ戦争に反対しなかったのか?と私は母に聞きましたが、母は知らないうちに戦争は始まったといいました。平和は黙っていては続かない、これは私の原点です。
自民党・安倍内閣が、いまの憲法を変える、9条二項を変え、国防軍創設・海外での武力行使を無条件・無限定で可能にする改憲を行おうとしている今、政治的立場や思想信条の違いを超えて力を合わせることを訴えました。わざわざに聞きに出てきて拍手をくれる人、手を振る人も多かったです。
NHKスペシャルでは、満州に送られ集団自決した方々、送った側の村長が悲劇を目の当たりにして自殺したことなど報道されていました。
宮川さんが満州から引き揚げてこられたこと、初めて知りました。この夏は、満蒙開拓団や満蒙開拓青少年義勇軍のことを学ぶ機会も多かったので、宮川さんもそうだったのかと感慨もひとしおでした。福島県はじめ、山形、宮城、新潟なども満州に行かれた方が多かったんですね。以前、「希望の牧場」の吉沢さんでしたか、お父様が満州から引き揚げてきて牧場をはじめ、自分がひきついだら、このざまだと。親父も自分も国策で棄民にされたと怒っていらっしゃいました。国に騙されないように、みんなで力をお合わせたいですね。宮川さんの戦後、とくに満州引き上げ後のお話し、いつか聞かせてください。
塚田恵子 様へ
コメントありがとうございます。私自身は赤ん坊だったため記憶はありませんが、母の話は鬼気迫るものでした。もっとよく聞いておけばよかったと思っています。疑似体験でも語り継ぎ受け継ぎ伝えていくことと思います。人殺しでしかない戦争は、核と同じ絶対悪です。
絶対悪の憲法改悪に突き進む自民党には負けられません。市議選もしかりです。
宮川えみ子