13日~14日、日本共産党の藤野保史前衆院議員らの福島被災地調査に見えました。まず党福島県議団と意見交換(宮川は欠席)、13年経っても、医療・介護、ALPS処理水、中間貯蔵施設など課題山積。「原発が事故を起こせばどれだけ厄介な問題を起こすか、その際に推進派がいかに無責任かを痛感している。だから避難者は戻りたくても戻れないという宮本しずえ県議の言葉が印象的でしたと藤野元衆院議員。
宮川はいわき市からの同行になりました。いわき市との懇談では。菅野、高橋市議らと。避難者支援の担当者と懇談。今も市内に1万6500人の避難者。見回り、相談など避難者と地域社会をつなぐ活動。能登半島でも被災者を巻き込んだまちづくりへの苦労や避難者の実態把握の難しさがあることを伝えると真剣に聞いてくれました。いわき市の経験も活かしたいとのことでした。
次に、いわき市漁協の新妻専務と懇談しました。
能登の漁業被害と福島では同じにならないこともありますが、補償なく漁業ができない期間が続いたら立ちどころに漁民が暮らせなくなり、一度海を離れたらもう漁民には戻れないという話は同感です。
宿泊先は浪江のホテルです。浪江はまだまだ極一部の避難解除です。
ホテルの洗面所の花。
ホテルの近くに咲いていた花。
近くに咲いていた花次の日は、まず、浪江の馬場元町議の案内で浪江・対馬地区を調査しました。馬場さん家は放射能の影響で帰る見通しがなく、解体されていました。馬場さん宅の井戸の前で。馬場さんの自宅は解体して基礎のみ。帰還表明した人の自宅周囲20メートルは除染するがそれ以外は除染せず。「原発事故で面で汚して点で除染は納得いかない」という馬場さんの怒りの声が耳に残りました。
馬場さんの家や周りを視察してから、浪江町役場では成井祥副町長と懇談しました。帰還困難区域の様々な課題を聞きました。生活用排水、森林除染、医療・介護、農業人材など復興はまだまだこれからです。国は一方で医療・介護の減免を打ち切りながら、他方で浪江駅周辺に1000億円もかけて「国際研究学園都市」をつくるという。優先順位は違うのではないかという意見が様々出ました。浪江町、川の中洲に汚染土が詰まった黒いプレコンパック。新緑の光景とあまりにも対照的でした。葛尾村は、副村長が応対。三瓶村議も同行しました。
帰還者は約3割で、高齢者が多くを占めています。介護施設を整備したが、一時介護保険料が全国一高くなったと。原発事故を起こした国の責任で特例として認めさせることが必要ではないか、介護の減免制措置の継続を、国に求めていきましょうと。
南相馬市では市長から直接お話をいただきました。子育て支援など苦労しながら良いお話をお聞きしました。
南相馬市では、門馬市長が直接応対。
2018年に3つの市町が合併。そのわずか5年後に原発事故が発生し、避難指示区域が合併前の区分で3つに分かれ、小高区は、全域が避難区域に。これが市政運営に様々わな困難をもたらした。今も、3割が帰還していない。賠償金の違いで、市民に分断が生まれた。だからこそ、子育て支援だと考え、3つの子育て無料を打ち出したと。
南相馬市は、18歳までの医療費無料、幼稚園・保育園から中学高齢までの給食無償化、幼稚園・保育園の保育料無料を実施。これは、県内でいち早く実施しています!
門馬市長の温かい人柄が、にじみ出る施策や課題の説明でした。