東川9条の会、フェイスブックより。田中角栄自民党元総理「どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない」

「どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない」この言葉は、
田中角栄元首相が、アメリカからのベトナム戦争への派兵圧力に対して、断固として示した日本の姿勢を象徴する言葉です。1960年代後半、ベトナム戦争の泥沼化の中で、
アメリカは同盟国である日本にも軍事的協力を強く求めました。

外務官僚たちは「アメリカから、かなり強い要請が来ています」と角栄に伝えたといいます。そのとき、田中角栄はこう答えたとされています。「そういう時には、憲法9条を使えばいい」そして、「どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない」と明言しました。これは、単なる理想論ではありません。国際政治の現場で、
“同盟国の圧力”という極めて現実的な力学の中で、それでもなお、日本が戦後に選んだ道――平和国家としての覚悟を、はっきり示した言葉でした。

戦後日本は、日米安全保障条約のもとでアメリカに安全保障を委ねながらも、一方で、自らは戦争に加わらない。その代わり、経済を立て直し、アジア諸国と関係を修復し、平和の中で国を再建する。

田中角栄が進めた『日中国交正常化』も、その延長線上にありました。武力ではなく、外交と経済と信頼で国を守る。これが、いわゆる「裏安保」論とも呼ばれる、日本独自の現実的な平和戦略でした。

いま、あらためて思います。この国は、かつて――「戦争をしない国」であることを、
世界に対してはっきり示していました。大国の圧力に対しても、「NO」と言える政治が、この国には確かに存在していました。

しかし、今の日本はどうでしょうか。「抑止力」「安全保障」「国を守るため」その言葉の下で、いつの間にか“戦争に巻き込まれる準備”が当たり前のように進められてはいないでしょうか。もし再び戦争が起きたとき、最前線に立たされるのは、政治家でも、官僚でも、大企業の経営者でもなく、普通の若者たちです。

田中角栄のこの言葉は、過去の美談ではありません。それは、今を生きる私たちへの問いです。この国は、これからも「一兵卒たりとも戦場に送らない国」であり続けるのか。それとも、再び若者の命を、国策の名の下に差し出す国になるのか。憲法9条は、ただの理想ではありません。戦争の現実を知り尽くした世代が、
二度と同じ過ちを繰り返さないために、
命を懸けて残した約束です。その約束を、自分たちは、いま守れているでしょうか。この言葉を、いまこそ、もう一度胸に刻みたい。「どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない」

この国が、この誓いを裏切らない未来であることを、心から願います。「政治家の心構え」権力を持つ人ほど、国の都合ではなく、国民の命を最優先に考える。同盟国の顔色よりも、未来の世代の安全を守る。田中角栄のあの姿勢は、右でも左でもなく、人としての覚悟”だったのだと思います。

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