大震災の日からいわき市で人工透析ができない病院が続出しました。病院そのものが被害にあったり、水や電気などのライフラインの喪失などの要因がありましたが、原発災害でお医者さん看護師さんなどのスタッフの避難、また、いわき市に必要な資材が入ってこなくなったなどの要因が加わりいわき市の場合はより深刻になりました。一刻の猶予もできない人工透析の皆さんはの悲痛な叫びは深刻でした。Mさんは、バス10台でとにかく行く先もそこそこに他の都市に散らばったといいます。東京に行くことになったMさんは、避難所を3箇所転々として、人工透析を行い3週間たって帰ってきたとのことです。私のところにもガソリンがなく透析にいけないという人からの電話が続出しました。みんながわずかばかりのガソリンを持ち寄って誘い合って透析にいけたという報告もありました。今も人工透析新患の受け入れは厳しいです。いわき市の医師不足は、震災前も大変でしたが、その対策はよりいっそう重要になっています。
写真は、庭の椿、考えてみれば梅も見ず桜が咲いたのもわからずの日々でした。