平和を願う母の思い今こそ

<宮川手記全文>私は1946年2月14日に、日本の侵略戦争(太平洋戦争)での敗戦のどさくさに、中国東北部(満州)に生まれました。今のロシアと同じく、当時の日本は中国の領土の一部を日本のものにしようと侵略戦争を仕掛けて敗れたのです。私は生後半年で日本に引き上げてきたので記憶はありませんが、母親が繰り返し繰り返し戦争のこと中国からの引き上げのことを話し、戦争は絶対やってはだめだと言い続けていたので、私自身は戦争の疑似体験をしたようにして育ちました。満州からの引き上げは、広い大陸の内部から屋根のない無蓋車(むがいしゃ)・貨物列車で何日もかけて港にたどり着き、その後は貨物船の船底に押し込められ、また何日も揺られて舞鶴港にたどり着いたという行程です。

私は母親に連れられて日本本土に帰ってくることができましたが、多くの人々、特に子どもや赤ん坊は引き上げの途中で病気や栄養失調で亡くなり、あるいは置き去りにされ日本の地を踏むことはできませんでした。父親は戦争に駆り出されていたので、多くは女手一人で沢山の子どもを連れての引き上げでした。ある母親が、荷台が高い列車に乗り込む際、先に乗って子どもの手をひっぱり上げていましたが、最後の子を乗せる前に列車が出てしまい半狂乱になって飛び降りようとしたのを皆が抑えました。母親がいなければ列車に乗せられた子どもたちは助かりません。置き去りにされた子どもが、ずうっと列車を追いかけてきた事、また、病気や栄養失調で次々に死にゆく子どもを弔うこともできず、荒野に捨てられ、また、船底で死んだ子は海に流してきたこと等、数えきれないほどの悲劇を私に話してくれました。戦争は、戦争に駆り出される人はもちろんのこと、戦わない子どもや女性の命も容赦なく奪います。ウクライナの悲劇はいてもたってもいられません。戦争を即刻終わらせようと行動しなければなりません。また、絶対戦争をさせないことです。

ところが、岸田首相は1月13日米大統領と会談をし、敵基地攻撃能力に向け合意しました。集団的自衛権(7年前に強行された)での日米一体化、アメリカの引き起こす戦争で敵基地攻撃をする具体化が進められます。専守防衛をかなぐり捨てて、日本が相手国に戦争を仕掛ける準備が急速に進められることになります。沖縄・日本本土を含め«ミサイル列島化(≫削除)され、日本が焦土化する危険性が現実のものになりました。中国や北朝鮮を念頭に置いているようですが、日本を本気で攻める気があるなら、日本が先制攻撃するための準備を整えるという5年間じっと待つようなことはしないでしょう、全くばかげた理屈です。

同じ自民党でも、かつて小泉首相は交渉して、北朝鮮から拉致被害者を取り戻しました。話し会いは不可能ではないのです。中国はすぐ隣、貿易や交流が活発になればお互いの繁栄に役立つでしょう。軍事産業にあおられて対立してはなりません。岸田首相は「ウクライナは明日の日本だ」と言いますが、私たちの住むアジアは、軍事同盟が広がっているヨーロッパと違って平和の枠組みを持っています。どの国とも話し合いを徹底して戦争させない枠組みを広げることです。

昨年11月、トルコのイスタンブールで、30か国1地域から69の政党が参加したアジア政党会議があり、排他的でなく包摂的な平和の枠組みが大きく前進しました。評論家の故・加藤周一さんが「戦争の準備をすれば戦争になる確率が大きい、平和を望むなら平和の準備を」と述べましたが、かつて日本が、戦争準備を重ね太平洋戦争に突き進んだ教訓に学ぶべきです。

岸田政権は、核兵器禁止条約に加わらない、アジア政党会議にも出席してない、戦争の準備には熱心だが平和の準備には背を向けるこんな危険な政権はありません。岸田政権を支える自民党・公明党・そしてこれらをあおっている維新の会の危険性は重大です。

反戦平和のために命を懸けてきた日本共産党の一員として、敵基地攻撃能力・軍事費増強推進の翼賛政治に進むことの無いように、全力を挙げて頑張る決意です。

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