4月7日・8日と福島市の福島大学で、東京電力福島第一原発事故の被害とその実態を明らかにし、国と東電の加害責任を問い、被害者の人権と生活の回復、原発のない社会の実現を目指そうと全国研究交流集会が行われ、7日に参加しました。法律家・科学者・自治体・被災者など420人が参加し、深く広く行動するための集会になりました。
写真は、基調講演する海渡雄一弁護士・浜岡原発裁判で主張していた通りになった、中越沖地震は今回の警告だったと。日本共産党福島県議団も中越沖地震での柏崎刈は原発の事故後、強く津波地震対策を国と東電に求めていました。福島原発事故はまったくの人災です。
写真は菅野典雄飯館村長。津波で祖父母・親・きょうだいをなくした高校生や、幼いこどもがテレビに出ていた。泣いてわめいて心にきずを負って・・ゼロからのスタートになると思う。しかし放射能はゼロからスタートできない。-20か-30か、世代を超えてゼロに向かうしかない、村の復興計画は作れない、1人ひとりの復興をどうつくるか、向き合うかだと。
写真は長谷川浩さん。有機農業ネットワークは、放射能の実際を知ろうと自ら動いている。放射能に勝つ農の営みを目指す、耕作するしないは農家固有の権利だと。
写真は酪農家・佐々木健三さん(農民連)。50年の酪農がたった一発でダメになった。牛を牛舎につないで避難した酪農家は、この世のものとは思えない白骨化した牛たちを見た、多くの酪農家の仲間に支えられて来た、東電への激しい抗議でやっと賠償の扉が開いたと。
写真は井戸川克隆双葉町長。「国と東電の説明を信じて来たことを悔いている、お詫びを申しあげたい」と。
線量の高い地域で悩みながら子育てをしているお母さんが、不安を持ちながらも自分たちの力を出し合い、この地で子どもを守って暮らしていくという報告、高校の先生からのサテライト高の寄宿舎の問題、賠償金の差別化の問題などさまざまな実態報告もありました。「原爆被爆者の戦いをどう生かすか」の田中原爆被害者団体協議会事務局長や「福島の再生を目指して」の清水先生の報告もありました。