火災の高野病院にお見舞い

4日、広野町にある高野病院に、火事と院長がお亡くなりになったことでお見舞いに伺いました。高野病院は大震災原発事故でも避難をしないで(大事故の福島第一原発から20圏内)住民の方々や原発で働く方々の治療にあたった病院です。これまでも何度か要望をお聞きに伺ったところでもあります。

この日はお見舞いだけでしたが、要望を伺いにまたお邪魔しますと、事務長代行・横田桂一さんにご挨拶をしました。衆議院予定候補・熊谷とも、吉田県議、元広野町議・畑中さん、私・宮川です。

大震災原発事故から6年目・雑誌「女性の広場」の取材を受けました(昨年暮れ)

大震災原発事故から6年目、日本共産党が発行する雑誌「女性の広場」の取材を受けました。近くの双葉町の仮設住宅を案内し、宮川の自宅で懇談をしました。

あの時の周りの状況や恐怖など改めて思い起こし、避難した方々に思いをはせました。自主避難だからもう終わり・家賃も支援しないということがいかに実態からかけ離れているかという事です。

家から5分ほどのところにある、南台の双葉町・仮設住宅な方が、人が少なくなっても復興バスはなくさないでと要望されました。(取材は昨年・12月27日)