(※ネットより)(AERA 2018年2月5日号)時が経ち、忘れた頃にシレッと出すとは何事だ。早期に津波対策を講じる好機がありながら、あろうことか東京電力は拒否。決定的な証拠が出てきた。1月11日、東京電力福島第一原発事故の被災者らが起こした損害賠償を求めている訴訟で、被告の国が千葉地裁に、ある電子メールを提出した。そこにはこんな“発言”が記されている。
「福島沖も津波を計算するべきだ」(原子力安全・保安院の担当者)
「40分間くらい抵抗した」(東電社員)
問題なのは時期だ。メールは福島第一原発事故の9年前の2002年8月のもの。保安院の要請を東電が拒み、津波対策が実施されなかった様子がよく伝わってくる。これまで東電は津波対策の検討を始めたのは07年と説明していたはず。ところが、さらに5年も前に対策に着手する好機をつぶしていたというわけだ 。
提出されたメールは、02年8月5日午後7時20分に、津波想定を担当する東電土木調査グループの社員が社内関係者に向けて送ったものなど、計6通。このメールの5日前、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)は、福島沖でも明治三陸津波(死者2万1959人)と同様なマグニチュード8.2前後の「津波地震」が発生する可能性があるとの予測を発表。過去400年分の地震を20人以上の専門家が分析した結果だ。この大津波に原発は耐えられるのか。すぐに保安院・原子力発電安全審査課の川原修司耐震班長ら担当者4人は、東電に説明を求めた。その時の状況を報告したのが今回のメールだ 詳しい内容はこうだ。8月5日、東北電力・女川原発の担当者が、明治三陸津波と同様の津波が三陸沖よりさらに南で発生した想定を、保安院に説明。保安院は、同様の計算を東電にも求めた。これに対し、東電は過去100年分のデータを分析した論文一つをもとに、三陸沖より南では津波地震は起きないと反論。「40分くらい抵抗」「結果的に計算するとはなっていない」と東電の社員は書いている 。
だが保安院も地震本部に問い合わせをせず、東電の説明だけで判断し、東電への計算要求を見送り。当時、保安院・原子力発電安全審査課長だった平野正樹・中国電力取締役は「担当からそのような話を聞いた事実はなく、承知していない」と取材に対して回答。保安院のどのレベルの意思決定だったかは不明だ。だが東電は、08年3月になってようやく津波地震を福島沖で想定して計算。
福島第一原発で15.7メートルになると分かった、とした。つまり対応を先に引き延ばしている間に、事故は発生した。
前出の川原氏は、メールと一緒に提出した陳述書で、「当時は(福島沖の津波地震を想定しない)土木学会の手法で想定することになっていた」とし、東電の計算を見送った保安院の判断に誤りはなかった、とする。
だが東電は、08年3月になってようやく津波地震を福島沖で想定して計算。福島第一原発で15.7メートルになると分かった、とした。つまり対応を先に引き延ばしている間に、事故は発生した。
前出の川原氏は、メールと一緒に提出した陳述書で、「当時は(福島沖の津波地震を想定しない)土木学会の手法で想定することになっていた」とし、東電の計算を見送った保安院の判断に誤りはなかった、とする。ところが実際には、保安院は土木学会の手法が正しいかどうか、チェックの先延ばしをすることを02年2月に決定済み。そこに「土木学会が正しく地震本部は不確実」と切り捨てる根拠はない。このチェックは結局、原発事故まで実施していなかった。
保安院の要請を拒否した事実を非公表にしていた点について、東電は「訴訟に関わる事項なので回答を差し控える」とコメント。また国側も、いつこの事実を把握したか、なぜ今ごろメールを提出したかが不明だ。事故原因の根幹に関わる事実を、事故から7年も隠蔽した東電と国。事故調査や捜査の信頼性自体が、大きく揺らいでいる。(ジャーナリスト・添田孝史)
※AERA 2018年2月5日号