14日、復興加速化・安心安全な県つくり特別委員会がありました。調査報告書のまとめの論議です。ALPS処理水について関係者の理解をえるという文言を入れるべき、水産物の調査研究をしっかり行うべきと入れるべきなどの意見が出て理事会で何らかの文言を入れる作業を行うべきということに。私は事前に汚染水・処理水問題、公共交通の充実問題を入れるべきとしていました。
14日、復興加速化・安心安全な県つくり特別委員会がありました。調査報告書のまとめの論議です。ALPS処理水について関係者の理解をえるという文言を入れるべき、水産物の調査研究をしっかり行うべきと入れるべきなどの意見が出て理事会で何らかの文言を入れる作業を行うべきということに。私は事前に汚染水・処理水問題、公共交通の充実問題を入れるべきとしていました。
議会の時は、福島市のホテルの泊まっています。早朝は福島駅周辺まで散歩に行きます。駅前陸橋の階段は歩幅が小さく私向きです。お寺もあり、家々の軒先には可愛らしい花々が咲いています。
13日、今日から磐梯町の町議選が始まりました。議会対策の合間を縫って古川よしのり候補の第一声、応援に行ってきました。町民の声をよく聞いた素晴らしい政策を訴えていました。教員としての平和の思いの訴えも心がうたれました。皆さんのお力で必ず町議会に押し上げえください。
12日、菅野明二本松市議が今日一般質問で、海洋放出を取りあげ、市長を質したところ、市長は6月7日にあがったばかりの全国市長会決議を引用し「海洋放出によらない新たな処理、保管方法を国の責任で検討を」と答弁したとのことです。重要な全国市長会決議と三保市長答弁です。全国市長会決議は決議第6号です。
軍拡財源法、福島市で、今日・12日は参院公聴会、14日は衆院公聴会、今になってやっと!!議会対策の合間に、福島駅前で緊急宣伝。
若者憲法集会In東京が開かれました。大軍拡が進む情勢のもと、900人近くの青年が一堂に会して軍拡反対、憲法いかせ!と声を上げました。
また、昨年の秋から取り組んできた、全国青年憲法運動で草の根から改憲止める運動も、さらに発展させようと呼びかけられました。
11日、いわき双葉地区委員会・日本共産党赤旗祭りが平の労働福祉会館で行われ、300人以上が集いました。勉強になった面白かったと皆さんとても喜んでいました。
タツミさんは、岩渕さんの質問は、ヤジが入らない、リアルな現場の実態には誰も何も言えないと、まず、福島県のことを話された。
維新政治の大問題を具体的に披露!たつみコータロウさん。維新の政治の問題点。維新の「身を切る改革は」住民サービスを切るにはまず自分を切ると言ってやり始める。維新政治の3つの問題点、
⓵命が奪われた、なんでも民営化で、この大阪で(270万人)保健所がたった一つに、<驚いた!!>コロロナ対応はまったくできず、死者は東京の1、5倍にも。多くの命が奪われた②なんでも民営化でドル箱地下鉄・御堂筋線(年300億円黒字)を民営化して重大損害を与えた、水道の民営化は住民の大反対にあってとん挫した③森友事件、根っこは右翼・教育勅語を暗唱させる小学校を規制緩和までやって作らせようとした。自民党でさえ言えない・核を共有せよ!原発再稼働せよは自民党の先を行く。
政党助成金は黙ってもらうだけでなく(その年に残ったら国に戻すことになっている)残ったら基金を作って返さない。だから政党助成金をもらわない共産党は目の上のたんこぶ。など。
森住さんの写真展
小高からの避難の方のハーモニカ、心にしみました。いわき市の皆さんに親切にあったかくしてもらってよかったですと。森住さんの写真展も良かったです。
くじ引き1等賞は一番若い人?
<感想>全国に先駆け 数年ぶりにいわき「赤旗まつり」が開かれました。
天候悪化で公園から室内に変更になりましたがそこはお祭り楽しい一日を過ごせませました。今日のメインは 辰巳コータローさんのトークセッション。大阪での維新の会との闘いが話されました。
第二部は 核実験跡 原発事故があったチェルノブイリ 劣化ウラン弾の取材などで 世界中を回っている写真家 森住卓さんと 原発事故訴訟団長の伊東達也さんのセッションで大盛り上がりでした。
演芸の部には くぼたんの雑魚塾で3三曲「何人かの芸達者の皆さんや トリは いわき美空ひばりの出番。 数年前に大門実紀史さんがいわきに新春の集いに来た時に いわきでおどろおどしたものを見せてもらったっと大変喜んで下さいました。 最後の自称いわきの美空ひばりの出演には大喝采。お捻りも飛び交い 袖の下に入れるものありで大変盛り上がりました。
<感想>楽しかったですね。いわき開催の、赤旗祭りは、初めての参加でした。トークもフリマも各地区の出し物もどれも良かったですね🎵皆さん役者の多いのにビックリでした。私は「ふるさと」を歌うとき、震災後早川さんの奥様が「故郷」が歌えなくなってしまったと言っていたことが思いだされ涙が溢れ歌うことができませんでした。