中国残留日本人孤児の支援を

 12日、中国残留日本人孤児への生活支援などを求めて運動している方、残留孤児の方が県議団控え室に見え県議団と懇談をしました。

  見えたのは日本中国友好協会福島支部理事長・福大名誉教授の長尾光之さんら3人と、残留孤児の浅野ナヲさんです。

 中国残留孤児とは60年前の第二次世界大戦中に、当時の日本政府が国策として、いわゆる満州(中国の東北部)へ多くの日本人を移民政策として送りだしましたが、終戦によってとり残された子どもたちのことです。

 男の人は戦争で兵隊にとられ、残された子供、女性、お年寄りの方々がソ連の攻撃にさらされる中で悲惨な逃避行を続け多くの人が死んでいったのです。親や保護者を失った多くの子どもたちが中国大陸に残されました。

 日本と中国との国交回復が1972年にあり、その後9年も過ぎてから残留孤児の訪日調査が始まり、帰国ができるようになりましたが、帰国しても年齢が高いため言葉の壁などで就職できず孤独で貧しい暮らしをしている人が多くいます。中国で育ててくれた養父母に会いに行くのにも費用もないという暮らしと言います.「日本人として尊厳のある生き方をしたい」と運動しています。

 私も満州生まれですが、幸いにも親がいて私を連れて終戦直後に引き上げて来ることができ今日があるのですが、母親から引き上げ時の話を聞くたびに胸が痛くなりました。

 また、私の同級生は引上げの逃避行の中で生まれ、その母親・兄・姉も死に、ただ一人残された父親に連れられて引き上げて来たといいます。

 私が日本共産党の活動をするきっかけになったのは、このようなことを引き起こす戦争を二度とさせないということです。そのために、命をかけて戦争に反対した唯一つの党である日本共産党を大きくして戦争を繰り返させないことだと思ったのです。

 残留孤児の人間回復を多くの方々が支えています。テレビでも放映された「大地の子」に出た仲代達矢さん、お母さんのことを描いた「赤い月」のなかにし礼さんも支援しています。多くの本も出ています。

 県議団としても神山団長などが様々なかたちで県などに働きかけ残留孤児を支援してきましたが、今後とも力を尽くしていきたいと思います。

 写真は支援者のみなさん・孤児の方と懇談している県議団です。

介護の施設が足りない、高くて払えない

 介護4の認定を受けて、現在入院中の兄弟のことで相談を受けました。

  寝たきりで流動食とのことです。これ以上の回復は望めないので退院を求められたのだが、自宅介護も大変だし、3つの施設を紹介されたが,あきまちで費用は月に13万円位と言うのです。

 自分も年金暮らしで費用を出せないと言います。

 障害の手帳をもらえないかどうかお医者さんに相談すること、障害の認定が1級か2級になれば医療分がかからなくなるので少しは費用が安くなるのではとアドバイスをしました。

 日本共産党の第3回中央委員会で志位和夫委員長は、まじめに働いても生活保護水準以下の生活しかできない貧困層が10世帯に1世帯、400万世帯を超え広がっている、病気、介護、老い、などがきっかけで、国民の誰もが(貧困は)おこりうる、と述べ、庶民に大増税・大負担、大企業・大資産家に減税、などの逆立ち政治を変えようと呼びかけました。

 私も、1昨年、6年介護した母をなくしました。

 絵は母との別れの日、庭に咲いていた花をかいたものです。

 赤くてきれいだったので母の棺に入れてやりました。