核兵器廃絶を目指す平和行進Iがいわき市を通過、24日~26日まで、いわき市役所にご挨拶して。北海道から通しで行進されている方も(宮川は県議会で出席できず・写真を送っていただきました)
熊谷智
平和行進としていわき市要請に来ています。あいさつしているのは高橋明子前いわき市議。❶今年も市役所や公民館のロビーなど市内7施設で『原爆パネル』を展示する、❷8月30日に市として被ばく80年の記念事業を行う、❸中学生だけでなく今年に限り高校生も広島に派遣する、など良い回答がありました
核兵器廃絶を目指す平和行進Iがいわき市を通過、24日~26日まで、いわき市役所にご挨拶して。北海道から通しで行進されている方も(宮川は県議会で出席できず・写真を送っていただきました)
熊谷智
平和行進としていわき市要請に来ています。あいさつしているのは高橋明子前いわき市議。❶今年も市役所や公民館のロビーなど市内7施設で『原爆パネル』を展示する、❷8月30日に市として被ばく80年の記念事業を行う、❸中学生だけでなく今年に限り高校生も広島に派遣する、など良い回答がありました
【平和の詩「おばあちゃんの歌」全文】
毎年、ぼくと弟は慰霊の日に
おばあちゃんの家に行って
仏壇に手を合わせウートートーをする
一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「空しゅう警報聞こえてきたら
今はぼくたち小さいから
大人の言うことよく聞いて
あわてないで さわがないで 落ち着いて
入って いましょう防空壕」
五歳の時に習ったのに
八十年後の今でも覚えている
笑顔で歌っているから
楽しい歌だと思っていた
ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない
ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに
一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」
泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた
歌った後に
「あの戦の時に死んでおけば良かった」
と言うからぼくも泣きたくなった
沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを
「艦砲射撃の食べ残し」
と言うことを知って悲しくなった
おばあちゃんの家族は
戦争が終わっていることも知らず
防空壕に隠れていた
戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが
戦車でひき殺されると思い出て行かなかった
手榴弾を壕の中に投げられ
おばあちゃんは左の太ももに大けがをした
うじがわいて何度も皮がはがれるから
アメリカ軍の病院で
けがをしていない右の太ももの皮をはいで
皮ふ移植をして何とか助かった
でも、大きな傷あとが残った
傷のことを誰にも言えず
先生に叱られても
傷が見える体育着に着替えることが出来ず
学生時代は苦しんでいた
五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い
「艦砲射撃の食べ残し」と言われても
生きてくれて本当に良かったと思った
おばあちゃんに
生きていてくれて本当にありがとうと伝えると
両手でぼくのほっぺをさわって
「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」
生き延びたから 命がつながったんだね
とおばあちゃんが言った
八十年前の戦争で
おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った
その傷は何十年経っても消えない
人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように
おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく
おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして
一生懸命に生きていく
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22日、いわき市消防幹部大会で挨拶しました。東日本大震災以来日本列は地震などが頻発する時代に入った。気候変動でも災害が多くなってきた。加えて高齢化が進んでいる。ソフトハード面での強化は重要、地域の連携の強化も等挨拶。機能別団員発足しました。
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21日、夜バトミントンの練習日でした。猛暑でもバトミントン・みんなであとかたずけ。
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21日、金山、市道扱いの階段に手すり、よかったよかった
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21日、あつ~い中、街宣で政策の訴え
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21日、憲法守れ共同センター佐糠スタンデング
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