24日、飲料水として利用していた山からの水が枯れてしまったという要望を受けて、田人荷路夫地区に調査に行きました。区長さんは、ここでの5軒で使う水は応急的に対策は行ったが田人地区だけでも110戸くらい地震の影響で水が出なくなっている、ここでも今までは豊富に出ていたと言います。3月11日、4月11日・12日と3回にわたっての大地震は、住宅だけでなくこのような被害をももたらしました。私も他の地域からもこのような要望をもらって財政支援を求めている事を話しました。水道の給水区域でない山間部がそろって要望を出そうという動きになっていると区長さんは言いますので、ぜひ連携して要望してください、私も国県に強く求めていますと励ましました。
いわき市でも、東日本大震災復興対策担当内閣府特命担当大臣(平野達男氏)に、8月20日にこの問題を要望書の中で求めたとの事でした。内容は①個人もしくは組合等が管理する井戸などを含め、給水区域以外の水源枯渇・損壊などの財政支援②放射性物質モニタリングの実施です。
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「地震対策・放射能対策、とにかく頼むから」と街宣の先々で
夏草に覆われた浪江町の災害現場・災害放射性廃棄物の現状と街の被害調査(2)
19日、日本共産党市田忠義参議院議員の秘書と原発20キロ圏内の警戒区域内の浪江の街の状況を調査しました。その(2)です。
22日の福島県の発表では、放射能問題で小中学校を変わった(変わる予定)の児童生徒は、県外に8700人・県内に5300人で、合計1万4千人が転校とのこと。県内の1割です。
写真は、すさまじい草に覆われた町並み車の窓から
夏草に覆われた浪江町の災害現場・災害放射性廃棄物の現状と街の被害調査(1)
19日、日本共産党市田忠義参議院議員の秘書と原発20キロ圏内の警戒区域内の浪江の街の被害状況と災害放射性廃棄物の現状調査に参加し、帰庁後に県の担当の方と懇談をしました。
浪江の街はすっかり夏草に覆われ家々の跡も見えにくく原野と化していました。案内をしていただいた浪江町の植田和夫住民生活課長の説明では、浪江の海側の瓦礫はおよそ18万トン、船は8隻は津波から逃れたが100隻は失ったといいます。また、浪江街全体では184人が死亡行方不明になって、まだ32人見つかっていないとのこと。
あれほど混んで流れの悪かった6号国道は、人っ子一人いず、車もなく、まるで別世界のような不気味さでした。壊れた誰もいない家々を見て原発事故の罪深さを思いました。
写真は、準備をして出発。左から、市田書記局長秘書、藤川・宮川・神山の各議員、馬場浪江町議、浪江町住民生活課の植田課長
写真は、夏草に覆われた400戸の住宅があった災害現場
写真は、海のすぐわきの請戸小学校、近くの原発では16メートルの津波が
写真は、何にも持たずに走ってこの道を避難した請戸小学校の子どもたちは全員無事
写真は、海の脇のマリンパークから見たがれきの山
写真は、行方不明者の捜索で海底の泥をさらう請戸漁港の重機
写真は、最後の除染
写真は、終わって県の担当者から放射性廃棄物対策問題の懇談
「 放射能測定して・地震の被害にあった・娘が原発立地地区から避難して困っている・マンホールが浮き上がって危ない」街宣に要望がいっぱい
アパートから楢葉町の牛とハウスと畑を思う
近所のスーパー前の署名で出あった、楢葉町からいわき市に避難してきた70歳代の御夫婦を訪問し、要望のあった夏物の衣類をお届けしました。農家をしてた、牛を9頭飼っていて子牛もいた、ハウスもやっていた。一時帰宅で家に帰ったら仏壇の灰が家中に散らかっていて、家の中はひどいものだった。仏様も持ってこられなかった。除草剤をまいてきたかったと。
原発が爆発したなんてぜんぜんわからなくて息子に引っ張られるようにして避難してきた、親戚や子どものところを転々としてここに来た。何にも持ってこない、すぐ帰れると思っていたと言います。今は狭いアパート暮らしですることもなく足腰が痛くなって病院にいくようになってしまったとも。いつ帰れるのかと何度も聞きます。一時帰宅でもいいからもっと行きたいと。切ない話でした。
写真は、高く伸びたひまわり。
お盆・福島原発放射能から子どもと国民を守る政策を発表・日本共産党
日本共産党は、11日、「福島原発事故による放射能汚染から、子どもと国民を守る対策を」を発表しました(詳しくは日本共産党のホームページをどうぞ)。あちこちで盆踊りが開かれてご挨拶の機会がありますが、まず放射能の測定をして「子どもたちの放射能軽減策のために全力を尽くします、一緒にがんばりましょう」と呼びかけています。若い人が真剣に話しかけてくれます。
写真は、「きゅうりでできた馬。」「ナスでできた牛」。仏様は、お盆で家に帰ってくる時はきゅうりの馬に乗って少しでも早くと帰ってくる、帰っていくときはなごりを惜しんでゆっくりとナスの牛に乗って戻るとのことです。
写真は、新盆の家々を回る「じゃんがら念仏踊り」
写真は、仁井田町の盆踊り・孫の「流果ちゃん」も。私より大きくなりました
早急な対応が求められる学校施設・植田小学校地震被害調査
11日、植田小学校の地震被害対策を調査しました。いわき市南部は3月11日・4月11日・12日と3回も大きな地震に見舞われました。個人の家はもちろん学校などの公共施設も大きな被害です。子どもたちは放射能の影響を心配してプール・海水浴などもできない中、学校では体育館の利用中止、校庭の利用制限など十分体を動かす対応ができにくくなっています。学校の施設被害対策は、災害査定・予算確保という流れになりますが、このような甚大な被害で、さらに子どもをめぐる状況を考えればルールどおりではない早急な対策が求められます。伊藤浩之市議と調査をしました。
写真は、崩れた通学路
大震災から5ヶ月・安心して暮らせる福島県に・除染対策に全力をつくします
今日8月11日は、東日本大震災から5ヶ月になります。津波・地震の被害を受けた方々の暮らしの厳しさは続き、特に原発災害による被害は拡大しています。 日本共産党は、安心して住める福島県・地域づくりを目指し、特に子どもたちのための放射能除染対策に全力をあげています。私は「子どもたちのための放射能対策はなんでもやるべき」と県に求めてきましたが、6月定例県議会で大きな前進がありましたので、このことを一刻も早く実施させるようがんばっています。
健康被害を心配して福島県外に避難する家庭が増え続けています。県教育委員会が8日の特別委員会に示した数は、この夏休み中に県外に避難を希望する小中学生は1130人で、全体では合計8753人になるとのこと。避難者全体人数は4万8903人に上るとのことです。
たくさんの署名を知事といわき市長に提出して避難して行った若いお母さんは、「早くいわき市に戻ってきたい、放射能対策が進んだら戻ってきたい」と、涙を流して言っておりました。
写真は、地元の夏休み恒例のソフトボールとフットベースボール大会。暑い中でしたが、みんながんばっていました。始球式でボールを蹴っとばしました。













































