年子おばちゃんの命の火弱弱しい・水草の花・夫のつけた茄子漬け

 一人暮らしのおばちゃんが(84歳)、肺炎で命の火が弱弱しくなっています。小さいころからずいぶんお世話になりました。

写真は、おばちゃんの手と私の手。

写真は、水草の花。花びらに目玉があります、不思議だなーといつも思います。

写真は、夫が山形風の茄子の漬物をつけました。とてもおいしく、夏ばて知らずです。

バンガローの夏休み

 「キャンプがしたい」という流果ちゃん(孫)の要望にこたえて、家族でキャンプにと、思ったのですが自信がありません。そこでバンガローを借りて宿泊に。テレビとゲームのない暮らしはなかなか良かったです。経費もバンガローが5000円×2戸でした。いとこ・東京の娘も入れて総勢9人でした。

写真は、キャッチボールをする人、絵を描く人、あり地獄見学する人など。

夕食はいつもの焼肉。泊まったバンガロー。

流果ちゃん誕生日・両親のいない兄弟に涙

 10日、孫の流果(るか)ちゃんの10歳の誕生日のお祝いをしました。私は、プレゼントに写真のようなフルーツパフェをごちそうしました。

夫は、選挙を頼みに行ったある家では、母子家庭だったお母さんが亡くなり、育ててくれていたおばあちゃんが施設に入って、20歳そこそこのお兄さんが中学生の弟を新聞配達とセブンイレブンのアルバイトで育てているとのこと。この話を聞いていて、孫の誕生日を祝いながら涙しました。「せめて、お兄さんの仕事が安定していればなあ・・と」。

写真は、フルーツパッフェ。

母の日

 今日は母の日です。赤旗新聞に参院選比例候補のお母さんの思い出が載っていました。私の母は6年間の介護の後、5年前の2005年(H17年)10月25日に82歳でなくなりました。満州(現在の中国東北部)生まれの大陸的な人で、私をまったく自由に育ててくれました。お金の管理がだめで学校に持って行くお金がいつもありませんでした。差別が嫌いで弱い人暮らしが困難な人には自分も大変なのにいつもやさしかったです。私が共産党に入った時は「(共産党は)いいことをやってるが苦労する」と反対をしましたが、私が共産党に入ってからまじめに(?)なったのでよく協力をしてくれるようになりました。子どもが2歳と3歳のころから候補者活動をしたのですが、母の応援があったからできたと思っています。


今日は、長男の嫁さんにプレゼントをもらいました。
写真は、プレゼントの茶碗とカップ。


20数年前に、娘と母と私でちょっとた山登り。

連休は法事で夫の実家に・姉に「笹まき作り」の講習を受ける

5月2・3日は山形の夫の実家に家族7人で法事について行く。山形県民の森のアスレッチック・そば作りや笹まきの作り方も夫の姉・兄に教えてもらう(こちらの人は何でもやる人が多い)。


写真は、笹まき作り。もち米をうるかして・笹の葉で包んで・鍋でゆでて・できたらきなこをつけて食べる。作ったのはもっぱら小学校4年生の流果ちゃんでした。

「魚を釣って・調理して・食べました」、アクアマリン(水族館)で

 子どもたちと小名浜の水族館・アクアマリンに行きました。最近オープンした子ども水族館・アクアマリンエッグの釣堀でギンザケを釣って、子どもたちが調理しました。

調理を手伝ってくれた方が、「生きている魚の命をもらって食べるんだから、感謝して食べようね」と言ってくれました。

魚の調理は、難しかったようでしたが終わったら自信が出たようで「今度は家でも作ってやるよ」と言ってました。とてもおいしかったです。

写真は、釣堀で釣って・調理して・食べて。

アクアマリンのいわし。

ナイフで切って寿司の介護食・施設のおばちゃんと外出

 22日、施設のおばちゃんが何とか外出できたので、車いすでお墓参りと回転ずし屋に案内しました。一緒に行ったのは付き添いのWさんと私の弟と4人です。お墓参りの後に回転ずし屋に入りましたが、スロープもあるお店でした。

84歳のおばさんは下の歯がないので、持って行ったナイフで寿司を5等分くらいに切ってやりましたら、一人でおいしそうにいっぱい食べました。耳がものすごく遠いので普段はあまりしゃべらないのですが、その日は私たちにお礼を言ってくれたりしました。

「食は命の源」と言いますが、本当にそうです。なんだか嬉しくてみんなに今日の事を言いふらしたい気分です。

写真は、お天気が良かったので、車いすでお墓参り。

写真は、寿司をナイフで切って、一人で食べられて、良かったところです。