危機一髪だった福島第二原発・福島県連調査

DSCN0774

29日、原発問題福島県民連絡会で福島第二原発の調査に行きました。第二原発は大爆発に至りませんでしたが、現在稼働停止中です。福島県は第一原発と(6基)と第二原発(4基)があり、3・11には第一の1~4号機までが大事故を起こしました。かろうじて助かった第二原発は3・11の地震と津波では危うく難を逃れましたが危機一髪という状況でした。あと2時間電源供給が止まれば大惨事になるところでした。説明では大震災の次の日、交換用電動機・ケーブル・電源車・移動用変圧器などは東芝からの空輸や柏崎刈羽からトラックで緊急輸送などでしのいだと。現場の電源復旧は12日とのこと。いたるところに津波の跡が残っていました。視察は①ガスタービン発電機車②1号機海水熱交換機建家③3号機原子炉建家です。②の調査では津波が扉を突き破って天井に届くくらいに来たと言い津波の跡がはっきり残っていました。③では格納容器の底部まで入りましたが制御棒の操作機器が上からぶらさっがっておりとても狭いところでした。同じ作りの第一原発が事故で格納容器の底部を突き破り核燃料が溶け落ちていると言いますが、溶け落ちた核燃料の取り出しは相当困難と思いました。

一緒に行った連発県連の伊東達也さん・早川篤雄さんは、熱交換器建屋で万一津波があった場合「水密性がない」ことが問題だという事を何度も指摘したと言いましたが、 東電は「想定外の津波だった」という説明に終始しました。

事故当時は運転中で、約2000~2500人+社員700人くらいいた、今は1000人程度(480人社員+協力企業+第一安定化センターメンバー)とのこと。事故から10日間くらいは全くの缶詰でクラッカーや水をみんなで分けながら食べた、協力企業の人も含めて1000人くらいで作業にあたった」と話していました。

DSCN0775

写真は、Jビレッジで打ち合わせ

DSCN0778

写真は、終了してJビレッジ前でメンバーの皆さんと

DSCN0780

写真は、説明資料です。会議室と入り口付近以外の写真は撮影禁止で、東電が移した写真はその場ではもらえず、東電がチエックをしてあとで送付するとのことでした。