お風呂に入れてやりたい・特別養護老人ホーム等を訪問

27日、特別養護老人ホーム等を訪問しました。地震の被害がひどく当面閉鎖になってしまった施設、ボイラーの損傷やスプリンクラーの作動で部屋が使えなくなり床に布団を敷いて当座をしのいでいるのでマットがあれば助かる、浄化槽が壊れてしまった、水道が漏水しているなどの問題があり、皆さんお風呂が使えないというのが共通の課題でした。対応できる分はそれぞれの対策本部に連絡を取り要望をしました。

写真は、地震のすごさを示すヒビ、地盤沈下。


写真は、要望をすぐ勿来対策本部にと今日も訪れました。

いわき市の海岸線と漁港を歩き、皆さんの要望を聞きました

26日、勿来地域の海岸線を歩き、昨日からはいわき市の全海岸線と漁港を歩きました。歩いたのは、小名浜・永崎・江名・豊間・薄磯・四倉・久ノ浜などです。大小はありますが、津波は本当にひどかったです。漁業はこれからどうなるか、住民の暮らし支援と漁業には国の支援が絶対的に必要です。一番ひどと思われたのは、薄磯海岸の集落です(薄磯は別ブログで)。久ノ浜も津波と火災で壊滅的でした。久ノ浜は原発に近いということもあって住民の姿はあまり見えず、消防・警察・自衛隊が行方不明者を捜索してました。

写真は、小名浜・見る影もないアクアマリンとその周辺。


写真は、小名浜高校。


写真は、腹を出して沈んだ船。

思い出を探す薄磯の皆さん・県いわき対策本部激励

26日、やっといわき市の海岸線をほとんど歩きました。住民の3分1が死亡したり行方不明になったりした薄磯集落は、重機が入って道なども確保されていました。でも、ここは30人以上の方々がまだ行方不明です。昨日は子どもの遺体が崩れた家の中から発見されて、お母さんが泣きくずれていました。一緒に行った渡辺博之市議は眠れなかったといいます。渡辺市議は、今日は水が出ないこの地区の皆さんに何とかお風呂行ってもらおうと奮闘していました。この地区は、区長さんも会計さんも民生委員さんもなくなったといいます。みんながまとまって入居できる避難住宅が確保できないかと要望をいただきました。

写真は、家族の写真や思い出を探す住民の皆さん

写真は、一面瓦礫の山の集落。

写真は、破壊された堤防。


写真は、県のいわき災害対策本部を激励。対策本部前の緊急備品。

早く操業にこぎつけたい・県漁連・いわき漁連

25日、県漁連といわき漁業組合を訪問しました。
県漁連では、大型・小型の船舶の半分は残ったので(500隻)漁業をする気になればできる状況にある、港の修理や市場の運営ができるようにしてほしい、また、風評被害のことも心配してました。小規模でも操業可能なので、原発問題を早く収束してもらって一部でもいいから操業したいといいます。
地震保険は船舶だけしか入っていない、また、新たに船を作れば3割くらいにしかしかならず、(古くなっている査定なので)再建は大変だとのこと。
県はもちろん国の大きな支援が必要です。水・電気の早期手当てもお願いしたいとのこと。

写真は、お見舞いを申し上げ要望を聞きました。

市民要望で勿来災害対策本部に・津波の被害調査に勿来海岸

24日、勿来災害対策本部に水道の給水状況の調査や要望などで訪問と激励に。小宅(支所長)本部長は、避難所生活が長引く中で、耳かき・歯ブラシ・食べ物では果物などに要望が変化してきている、支援物資の内容にミスマッチがあることなどの報告をしてくれました。本部の黒板には、お風呂サービス・給水情報などが記入されてました。
その後、勿来関田地区の海岸線に沿って、津波の調査と住民の方々にお見舞いを申し上げました。津波に追われ命がけで避難した方のお話を聞き、津波で家が壊され泥掃除にくたびれ果てている方を激励しました。

写真は、水道の給水確保など市民要望を持って勿来対策本部で懇談

 

写真は、縦4、6m×横2、6m×厚さ0、3メートルのコンクリート堤防の底部が持ち上げられ流された状況(2枚)

写真は、地元の方から津波の様子を聞きました(2枚)


写真は、暴れた海、今は青く静か

「大震災支援・日本共産党の立党の精神で大奮闘を、原子力行政、エネルギー政策の抜本的転換を」

23日、CS放送を通じて日本共産党志位和夫委員長が、国難というべき戦後最大の今回の大震災について、日本共産党の立党の精神にたって救援活動をしようと呼びかけがありました。また、原子力行政、エネルギー政策の抜本的転換を提起しました。
写真は、宮川事務所で後援会の皆さんと視聴しているところ。この訴えは、どなたでも視聴できます。<私のブログの右下の日本共産党中央委員会をクイックしてください>

被災者用住宅確保に向けプロジェクトチームを作る・農業被害対策は早急に

22日、今日もガソリンのメモリを気にしながら、いわき市災害対策本部に行きました。避難者用住宅問題で、立ち話でしたが、渡辺敬夫・いわき市長とも話し合いました。市長は、いわき市の場合は原発問題でいわき市以外から避難してきている人が多いので県が主導して対策を行ってほしい、皆さんも(共産)党として、新たなスキームを要請してくださいと要請されました。また、担当者の方は、市としてはプロジェクトチームを作って、どのくらいの人が入居を希望しているか、また、一般の民間住宅空き屋調査もしている、雇用促進住宅は国と協議をして進めるということでした。
私は、市の意向を日本共産党高橋ちづこ衆議院議に伝え県とも連絡を取って、皆さんが一刻も早く入居ができるように力を尽くしたいと思います。

写真下は、路上でしたが、農業委員会会長さんと高橋明子市議、私と。


農業委員会・鈴木理会長の要望も受けました。路上での立ち話でしたが、「どうしていいかわからない、補償を本当にしてくれるのか、種まきの季節だがまいたらいいかどうか、国の基準・施策・など具体的に示してほしい、農家は先のことが必要だといいました。

みんなでやさしい言葉を掛け合おう!困難を乗り切りましょう!

21日、2人の方から電話とメールがありました。①一人は、若い方と思われる方から「地震から10日目、水道もいつ復旧するか不安な日々、事務所の水をいただいてます。子供と二人の生活なので有り難いです。そんな中、党員の方に電話を頂きました。身寄りもないので、ここで頑張ろうと覚悟しても心細くなっていました。でも頑張ります」と。
②もう一人の方は津波で被害を受けたが何とか家でしのいでいるという70代の女性の方の電話で「姉が地震の時心臓発作で亡くなってやっと火葬してもらった。夫が要介護3で避難所にいけず、食べ物も乏しくなっている時に、今日役所から救援物資を取りに来てと広報があった。しかし、その場所があまりにも遠くて運転もできず取りにいけないので、市役所に電話をしたら『自分のことは自分で守ってください』といわれた」と言います。近所は避難しているのか電気もあまりついていないとも言います。話を良く聞いてやって、困ったり心細くなった時は、いつでも電話をしてくださいといったら、「今晩はよく寝られそうです」といって電話を切りました。
地震から10日目、みんなで励ましあってやさしい言葉を掛け合いましょう!

写真は、「ジュウネン(エゴマ )」を摺っているところ。
ジュウネンとは、シソ科の一年草。保存食として取っておきました。食べると 十年長生きできると言います。

「住む所・今後の生活を考えると眠れない」引き続きの避難所訪問

20日、引き続き泉公民館・藤原小学校・湯本高校・湯本小学校の各避難所を訪問しました。身内との連絡が取れない、薬が手に入らない、などの要望とともに、今後の生活、特に住宅の心配が寄せられました。

写真は、泉公民館の避難所入り口の給水場案内掲示

写真は、泉公民館のヨウ素剤支給案内掲示


写真は、湯本高校避難所でご要望の聞き取り


写真は、いっしょに避難所を訪問する溝口民子市議と


写真は、湯本高校避難所入り口の破壊された道路