南相馬ソーラ・アグリパーク等・農林水産常任委員会県内調査(1)

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4月22日~24日まで福島県議会農林水産常任委員会県内調査でした。22日は南相馬市の相双農林事務所・ソーラ・アグリパーク・海岸防災林耕地災害復旧状況・相馬双葉漁協でした。津波で一切流されてしまったところで原発放射能の影響がある所で太陽光発電とその利用で野菜を作っていて売り先も決まっていました。また子どもたちの体験学習の場として利用されていました。

写真は、ソーラパネルの野菜工場・ハウスの中に野菜が。

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写真は、ソーラパネル

堤防改修やハード面は進んでいましたが、漁業ではやはり放射能汚染水対策で汚染水対策と魚介類の検査体制強化を求められました。魚の非破壊検査機器は13メーカーが開発中とのこと。

 

 

「イオンは地域の一員として・管理運営はこれから協議」と、いわき市と県議の懇談会(イオン3)

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21日、いわき市選出の県会議員といわき市との懇談会が開かれました。小名浜に進出するイオンモールとの協定について「津波避難についてイオンが休みのときや撤退になった時のことをどのように考えるか」と私が質問したことについて、市は「市・イオン・アクアマリンと管理運営について今後協議する、借地契約50年・地域の一員とし進めていく」と言い、撤退した時のことは想定していないようでした。

原発地下バイパス計画でのモニタリング強化・深刻な医療関係者不足問題などの要望などを受けました。

小名浜人工島建設に伴って人工島との間に橋が架かりますが、大型客船が通れなくなることから新たな航路整備の要望を受けました。共産党は人工島建設は無駄な大型事業として反対してきましたが、こんな問題も出てきました。

写真は、いわき市からの説明資料

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写真は、懇談会で

いわき市(小名浜地区進出)がイオンと協定を結んだことでコメントが・・そのまま掲載します(イオン2)

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③貴ブログを拝読し、ペデストリアンデッキの設計が変更になっていることを知りました。イオンモール内部を貫通しておらず、建物によって分断されているということでしょうか?貴職が書かれている通り、これでは安全性がないがしろにされており、また、復興交付金という私たちの血税が大企業の利益に資するために使われているのでは、という疑問が湧きます。このような大企業ばかりに手厚い不平等・不公平は認めがたいものです。いわき市議会や福島県議会、あるいは復興庁で取り上げてもらいたいものです。

②私はF1経験から、原発に反対で是非とも不安のないエネルギー政策を実現させてもらいたいと強く思ってます。そのためなら、電気料金が割高になっても受け入れるつもりですので、是非とも実現させてください。ところで、私は小名浜で仕事をしてますが、小名浜の開発が進んで活気が戻ることは良いことだとおもってました。イオンモールもいわき市にはありませんし。そんな問題があるとは思いませんでした、市がやることはすべて正しいものだと思ってました。知らない、知ろうとしないことは、私の子供達の将来に対してとても無責任なことなのかと考えさせられました。原発の影響もそうです。3.11の後で、消防車が津波警報を広報して回ったことがあります。実は誤報?だったのですが。そのときの恐怖を内陸の人は理解できないでしょうね。私の知人のお母さんと、その子供さんと二人が津波で亡くなりました。市には、しっかりと安心できる開発をしてもらいたいです。

①震災での津波被害を経験した「いわき市」にとって、この小名浜での開発が評価されるポイントは、アクアマリンパークと旧市街地を結ぶ動線を整備し、そしてその動線を、再度津波が来てもアクアマリンパークで働く人や観光客が安全に避難できる機能を付加した公共の都市施設で整備することで、働く人や観光客の安全を担保し「安心」を訴求することで交流人口を増やすことであって、「イオンモール」ができることは二の次の話だと思います。みなと公園から北側公園に通じるペデストリアンデッキは、立地するのがイオンモールであっても他の施設に変わっても、全長すべてを「いわき市」が所有管理し、24時間・365日開放されてる状況にしなければ、意義が半減します。イオンモールができるのであれば、このデッキを挟んで東棟と西棟にするとか、または、デッキの部分だけ逆凹型にすれば良いと思います。万一の場合に、物理的に店舗内を通れない事態が生じた場合には、デッキから一旦1階に降りて、道路を横断して逃げれば良いなんて考えは論外でしょう。それに、イオンモールに限りませんが、大型店は、出店後に採算が合わなければ撤退することも考えられ、不採算・施設の老朽化・統廃合と理由はさまざまながら、事実、全国では600店以上の大型店の店舗が撤退や閉店されてます。閉店や事業者移譲といったリスクヘッジの意味においても、デッキの端から端まで、いわき市が所有・管理すべきです。また、話は変わりますが、先日、小名浜で商売されている方と話をした際に、「イオンモールがオープンして、自分の商売が駄目になったら借金もないので、潮時と思って店を閉めるか、建物を壊して他に貸すよ」なんて話をされましたが、その方は、グループ補助金で結構な金額をもらっており、その場合には、それなりの金額を返還させられる可能性があることを知りませんでした。行政には、万一、そのようなケースが生じた場合には、救済されるような手当てを整備してもらいたいと思います。

「南京病院・特攻・原爆・看護婦としてかかわって」・92歳鈴木さん戦争を語る。「日本人・韓国人・心と心の歴史」・呑川さん講演。勿来9条の会6周年記念

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20日、勿来9条の会6周年記念が勿来市民会館で開かれ会場からあふれる230人が参加しました。元従軍病院看護婦・鈴木トミ子さんは92歳ですが軍国少女として真珠湾攻撃の日に中国南京病院に渡った、手足を失った兵隊を診た、特攻で15歳で飛んでいった少年を送った、原爆を受けた人も、教育で戦争が正しいと教え込まれた恐ろしいことだ、今話をしないとと思い始めて話をしたといいました。

呑川泰司さんは安重根(アン・ジュングン)の事を例に、相手の立場に立った考えが大事と講演しました。

写真は、呑川泰司さん講演

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写真は、いわき雑魚塾コンサートも

「原発は東京ではわからない」・泉支部後援会懇談会で。地元で協力して田人ガードレールできました。

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19日、泉支部で日本共産党懇談会が開かれました。皆さん活発に意見や要望を寄せてくれました。東京から最近いわきに越してきた人が「東京では原発の事はわからない」と発言しました。福島からの発信は重要です。

写真は、懇談会・伊藤浩之市議と

田人平石の道路脇ガードレールが県にも協力をもらって、地元に人などの力でできました。雪で滑る急なカーブのところで続けて事故が起き亡くなる人もいたところでしたが、土地が民地に入っていて難しかったところでした。

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写真は、立派にできたガードレール

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写真は、ハンドマイクで街宣

「はたして、いざという時大津波から逃げられる設計になっているのか?」・いわき市にできるイオンの施設に疑問(イオン1)

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いわき市が17日に、小名浜のアクアマリンふくしまや、ららみゅうなどと連携させて大型スーパーなどの施設を作る協定をイオンと結ぶと報道されました。このことについて各種意見が寄せられています。図柄だけでよくわからないところもあるが、ペデストリアンデッキで2階から避難することになっているようだが、営業時間帯は?扉は?シャッターは壊れないのか?24時間態勢か?前の設計と変わっているようだが?イオンモールに入らないと逃げられないのか?多額の復興交付金という税金をつぎ込むのだからもっと安全第一にと思うが?などです。

学生・お年寄りなど交通弱者などに対する街づくりや広いいわき市の商業まちづくり、地産地消で地元にお金が回るような街づくり、いわき駅前に200億円の税金をかけた再開発・デッキなどをかけた街づくりとのバランスなど、これまでもいろいろな意見が出されてきましたが、安全安心に対する説明が求められます。

写真は、この問題を報じた地元の新聞

「検査機器の拡充・施設の改修進む、汚染水対策を追及してほしい」相馬双葉漁業協同組合を視察と懇談

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写真は、漁港の改修状況の説明を受ける

18日、浜通り沿岸水産業懇談会で(浜通り地区超党派県議で構成)相馬市岩子にある相馬双葉漁業協同組会(佐藤弘行組合長)県水産試験場相馬支場・松川浦漁港・水産種苗研究生産整備施設(株アデカ相馬工場の借地・相馬火発温排水利用・ヒラメ100万アワビ30万あゆ300万尾の栽培予定で建設時期は29年度?完成)などを視察し組合の皆さんと懇談をしました。

魚介類の放射能はかなり少なくなっているが、海底の凹凸が多いところの魚等は検出される率が高いなどの説明がありました。検査機器は丸ごと(30センチ位)検査できる機器も開発が進んでいると説明を受けました。検査体制の人員強化も要望受けました。

施設の改修状況は格段に進んでおり、3年前に来た時の被害状況を見れば考えられない状況です。それだけに汚染水に対する怒りがわかります。

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写真は、上は・各種放射能検査機器でこれは丸ごと検査できる・今試験段階

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写真は、上は・一度に多数の検査ができる機器

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写真は、上は・メンチにして図る今までの検査機器

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【写真は、3年前の(2011年4月7日)原釜漁協付近】

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写真は、帰還困難区域の6号国道・街並みが連なっているのに、通る車も人影もなし。家の入口はフェンスが。特別許可をもらって自家用車で通過した。

 

藤城清治美術館に・清治今日で90歳・大震災原発事故も描く

17日に那須にオープンしたばかりの藤城清治美術館に行ってきました。たまたま今日は清治の90歳の誕生日でした。大震災・原発事故の際は現地に出かけて行き絵を描きました。原発事故の絵を描くときでしょうか、白い防護服を着て描いている姿の写真がありました。気の遠くなるような繊細な中に思いを込めた作品でした。5メートルくらいもある作品を90歳で描く・・・やっぱりすごいです。いっしょに行ったメンバーは、長く一緒に市議をしていた高橋・溝口(今も市議)の3人組です。前々から予定もし1年間で一番時間のあるはずの月ですが日程調整は大変でした。たまにはいいね。

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写真は、清治・大震災の作品

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写真は、清治・小人の楽園

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写真は、那須岳ロープウェー山頂駅

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写真は、やっぱり那須は温泉です

「伊方原発再稼働やめよ!の声を届けて」と、松山市議選応援

4月11日~13日まで、愛媛県松山市に3年たった福島県の実状報告と市議選応援に行ってきました。松山市は伊方原発から60キロで北西の風がよく吹くと言い、いったん何かあったら避難は難しいといいます。福島原発は汚染水の問題が深刻で解決の道筋も見えないと言ったら「瀬戸内海のきれいな海は絶対汚せない」とみなさんおっしゃってました。福島県からの避難者を愛媛県では現在90人受け入れていただいており、また、20数時間もかけて何度も福島県に差し入れを持ってきていただいています。御礼を申し上げながら福島県のような思いを二度と経験させたくない原発ゼロを目指す日本共産党の候補者の支援をと訴えました。4月27日投票日で・連絡先は・089-947-2411です。
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写真は、大嶋けいた候補支援の青年後援会の皆さんと。大島候補は福島県南相馬市から愛媛県に避難して農業を続けている渡辺寛さんの大学の2級後輩だそうです。
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写真は、杉村ちえ候補応援の女性後援会の皆さんと。街宣した団地には浪江からの避難者の方もいました。
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写真は、宮内ともや候補と街頭から。
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写真は、小崎愛子候補支援の医療生協の皆さんと。ここの医療生協では福島に直接来ての支援だけでなく今も原発労働者支援など定期的な支援もいただいています。
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写真は、道後温泉の壁に映し出されたイベントの映像。夜の日程が終わってから坊ちゃんで有名な道後温泉に行きました。120周年記念で温泉の建物に自分の映像が映し出されます。
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写真は、帰りの飛行機から見えたスカイツリー。片道7時間半の道程でした。
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写真は、愛媛県松山市と伊方原発。

第一原発労働者死亡事故問題・なぜ災害発生後42分もたって救急車を呼んだのか・など富岡労働基準局に申し入れと懇談。県漁連と県栽培漁業協会とも。

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9日、第一原発を管轄している富岡労働基準監督所を訪問し、第一原発労働者死亡事故問題・なぜ災害発生後42分もたって救急車を呼んだのか・など富岡労働基準局に申し入れと懇談を行いました。工事計画そのものが問題でなかったか、直接働いている労働者の話や東電の報告を見ても問題ある工事ではないか、請け負った事業者はどうだったか、再発防止をすぐ行うべきなど意見交換をしながら申し入れました。また、事故原発は経験ない厳しい職場で、4000人からの人が働いている、監督署の役割は非常に重要で体制の強化は必要と言いました。

渡辺満所長は、今までも抜き打ち検査を行ってきたが全部は回りきれない、体制は事故前と比べ3人増えた、応援ももらっているが体制問題なども上局に言いたいとの事でした。また、救急車要請が遅れたことなどは、調査中なので申し上げられないとも。

県漁連とは地下水バイパスの放出の際の調査は、東電の資本が入ってないところに頼むべき、(公益財団法)県栽培漁業協会では五十嵐理事長から、アワビの栽培に力を入れていると意見や要望等をいただきました。

写真は、申し入れと懇談・左から伊東達也・全国原発問題住民運動筆頭理事、渡辺博之いわき市議・私・新婦人の武田さんも参加しました。