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呑川泰司さんが亡くなった・フェイスブックより
心からお悔やみ申し上げます。(5月18日赤旗新聞より)2021年5月22日土曜日
吉田 隆治さんのフェイスブックより
大先輩が相次いで彼岸へ
(写真右)歴史研究家の呑川泰司さんが亡くなった。享年95。直接会って話す機会はなかったが、同じコミュニティの大先輩なので、歩いている姿を見かけると、「元気そうでなにより」と安心したものだ。
呑川さんは、作家山代巴(1912~2004年)の夫で労働運動家の山代吉宗(1901~45年)の研究者だった。いわき地域学會図書14として、平成5(1993)年、『光と風の流れ 山代吉宗の道』を出版した。いわきの炭鉱の歴史をベースに、そこで生きた労働者の実態を、山代吉宗の生涯を通じて解明している。
訃報に接して、手元にある国府田、吞川さんの本=写真=を読み返した。いろいろ刺激を受けた。
特に呑川さんの本からは、山代吉宗が好間川の「大滝発電所問題」やセメント工場の煙害問題で意見を述べたり、告発したりしていることを知った。巴との結婚には、山代の後輩で盟友でもある大井川基司がからんでいたようだ。
大井川は磐崎村藤原(現いわき市常磐藤原町)に生まれた。磐城中学校から京都の第三高等学校に進み、「二月事件」で検挙・放校された。大井川についても知りたくなった。
それ以上に興味を持ったのが、当時の炭鉱の様子を伝える文献だ。吞川さんが第2章の「学士飯場」冒頭で紹介している。三上徳三郎『炭坑夫の生活』(大正9=1920年)で、100年前のいわき地方の炭鉱労働者の仕事と暮らしをルポしている。
国立国会図書館デジタルコレクションで読めるが、現物をなんとか手に入れたいものだ(もちろん値段と相談して)。吉野せいの『洟をたらした神』に収められている「ダムのかげ」の注釈づくりにきっと役立つ――そんな直感がはたらいたので。
<コメントより>
山代巴という名前を懐かしく読みました。山代巴は私の実家のすぐ近くにあった刑務所に収監されていたことがあり『荷車の歌』は私のふるさとが舞台になっています。夫の吉宗のことは知りませんでしたし、ましてや吉宗の研究者の方がおられたことも初めて聞きました。