22日、浪江町からの原発避難者と共産党国会議員団・県議団と懇談を行いました。「ふるさと返せ!津島原発訴訟」原告団の皆さんの話は、何としても故郷に帰りたい、帰れるような除染をしてもらいたいとの思いにあふれていました。国会議員団は、高橋ちづ子衆議院議員、塩川鉄也衆議院議員、いわぶち友参院議員です。説明する馬場積元日本共産党町議、佐々木茂町議。国会議員団は、この後、浪江町津島を調査に、各施設、浪江町役場、学校、富岡町役場などに行く予定です。
高橋衆議院議員の報告、党国会議員団福島チーム調査1日目。
浪江町。津島訴訟原告団、弁護団とともに津島を歩く。
昨日、短いけれど岸田内閣初めての国会論戦が行われた臨時国会が終わり、岩渕友参議院議員とともに福島駅前で街頭演説を行いました。私はそのまま福島に泊まり、今日は朝から日本共産党国会議員団福島チーム責任者として、事務局長である岩渕友さんとともにチーム一行をお迎えし、2日間の調査がはじまりました。以下、Twitterまとめです。
①岩渕友、山添拓両参議院議員、塩川鉄也衆議院議員。熊谷智(元福島5区候補)、県議団と。福島県庁で津島訴訟の原告、弁護団と懇談。復興再生拠点は津島の中のわずか1.6%の面積でしかない。拠点外は「どんなに時間かかっても全て解除する」と言った政府は、帰る人の家だけ除染するという?!
②「22〜23戸あった集落が高線量のため、移住余儀なくされた。亡くなった人も多く、故郷への思い強い人ほど自死も。。」「除染が完了した他の家を見ると悔しい。我が家はボウボウ。。知って欲しい、私たちの故郷は津島だ。親からもらった財産守りたい。いつまでにどうする、の念書がほしい」
③スクリーニング場でタイベックに着替える。馬場いさお前浪江町議の案内で。農地の除染は山砂を撒いているだけ。雨で7センチほどえぐられたあとが残り、動物の足跡も。高橋養鶏場では、雪の重みでつぶれた鶏舎の中に今も骨のまま残る鶏の死骸に一同息を飲む。3.16μsv。
④際除染と呼ぶ、拠点道路の外縁20メートルだけ除染するやり方。これだけでは一時的に津島に立ち寄る人のためであって、生活圏の除染はされないまま。道路2.3μsv。山砂の敷いた田んぼ0.8μsv。
⑤馬場いさお前浪江町議の自宅。赤旗がまだ650円の看板、、家の中は壊れたまま足の踏み場もなく、動物が踏み荒らしたあとも。壊すしかない、、と。馬場さんがいつもかけある記を印刷していた輪転機。庭に出ると、13.69μsv。
⑥モニタリングポストは2.898μsvとくっきり表示。ところがそのすぐ隣で線量計を持つとずっとアラームが鳴りっぱなしで、針は振り切れた、、、!ここで津島訴訟の原告、弁護団とはお別れ。除染土を運ぶダンプがひっきりなしに走っていきます。猿の集団にも遭遇。。津島を皆さんに返そう!
⑦浪江町の佐藤良樹副町長と懇談。震災時21542人、7671世帯あった浪江町。現在帰還者は1248人、6%未満。町民人口自体が16309人も5000人以上も減!帰れない状況を考慮した特例の国勢調査をやってきたが、これがなくなると自治体としての存続が厳しくなる、、
⑧帰還困難区域の中で、除染が虫食いでは帰還進まない、と私。国の方針に沿って面的に少しづつ広げたいとやってきたが、いずれは全面除染やりたいと副町長。医療・介護免除を国が縮小しようとしている。国から公平感といわれ、分断される。頑張ってきた自治体を苦しめないように頑張りたい。