核燃サイクルの話は出ず・県「エネ検」。プルサーマル受け入れ自治体に交付金と報道が。

 2月1日、「県エネルギー政策検討会」が開かれました。今日は幹事会ではなく本体の検討会で、知事も出席して今までの検討を一定総括するものでした。

各報告が出され質疑の後

①プルサーマルをやる3号機がまだ耐震の結果を出していない

②MOX燃料は、作られてから10年たっている、品質はどうなのか

③高経年化・プラントの安全性はどうかと、問題点が3点が出されましたが、「核燃サイクル問題」については、一切出ませんでした。

雰囲気は、結論を急ぐような感じがしました。

今日の新聞には、国のエネルギー庁がプルサーマル受け入れ自治体に交付金を出すとありました。金で自治体を誘導する国もそうですが、これに乗っていくようでは、安心安全の立場に立った真の論議ができるでしょうか。

写真は、エネ検での知事の発言。終わって報道陣に囲まれた知事。

転落防止柵ができました・・内郷宮地区・宮川

 内郷宮地区の宮川の橋のたもとの転落防止柵がこのほど実現しました。

 通学路にもなっていて危険だと指摘されていたものです。

 早く実現してよかったです。

 日本共産党後援会の街中ウオッチングで出されていた要望のひとつでした。

 後援会の皆さんと溝口民子市議と一緒に内郷支所に要望していたものです。いっしょに要望していた歩道の真ん中にある電柱移転や宮川の堤防改修の実現はまだですが引き続き実現を目指していきたいと思います。

 これとは別に、勿来四沢の歩道の要望で勿来支所にも要望をしましたが、歩道などの環境整備の予算は減っているそうです。高齢化や車社会の対応には安全対策に関する予算が不可欠ですが減っているとは!ひどい話です。

3月11日(日)午後1時半・植田のやまたまやの演説会へお出かけください

 3月11日(日)午後1時半から、植田町のやまたまやで演説会が開かれます。演説会のご案内をしながら、りょう吾君(孫)と近所を訪問しました。近所のお宅に福寿草が咲いていました。

  演説会はどなたでも参加できます。ぜひお出かけください。入場無料です。

 お話する人は、紙智子参議院議員(比例代表選出)、宮本しずえ党福島県国政対策委員長、宮川えみ子です。

中国残留日本人孤児の支援を

 12日、中国残留日本人孤児への生活支援などを求めて運動している方、残留孤児の方が県議団控え室に見え県議団と懇談をしました。

  見えたのは日本中国友好協会福島支部理事長・福大名誉教授の長尾光之さんら3人と、残留孤児の浅野ナヲさんです。

 中国残留孤児とは60年前の第二次世界大戦中に、当時の日本政府が国策として、いわゆる満州(中国の東北部)へ多くの日本人を移民政策として送りだしましたが、終戦によってとり残された子どもたちのことです。

 男の人は戦争で兵隊にとられ、残された子供、女性、お年寄りの方々がソ連の攻撃にさらされる中で悲惨な逃避行を続け多くの人が死んでいったのです。親や保護者を失った多くの子どもたちが中国大陸に残されました。

 日本と中国との国交回復が1972年にあり、その後9年も過ぎてから残留孤児の訪日調査が始まり、帰国ができるようになりましたが、帰国しても年齢が高いため言葉の壁などで就職できず孤独で貧しい暮らしをしている人が多くいます。中国で育ててくれた養父母に会いに行くのにも費用もないという暮らしと言います.「日本人として尊厳のある生き方をしたい」と運動しています。

 私も満州生まれですが、幸いにも親がいて私を連れて終戦直後に引き上げて来ることができ今日があるのですが、母親から引き上げ時の話を聞くたびに胸が痛くなりました。

 また、私の同級生は引上げの逃避行の中で生まれ、その母親・兄・姉も死に、ただ一人残された父親に連れられて引き上げて来たといいます。

 私が日本共産党の活動をするきっかけになったのは、このようなことを引き起こす戦争を二度とさせないということです。そのために、命をかけて戦争に反対した唯一つの党である日本共産党を大きくして戦争を繰り返させないことだと思ったのです。

 残留孤児の人間回復を多くの方々が支えています。テレビでも放映された「大地の子」に出た仲代達矢さん、お母さんのことを描いた「赤い月」のなかにし礼さんも支援しています。多くの本も出ています。

 県議団としても神山団長などが様々なかたちで県などに働きかけ残留孤児を支援してきましたが、今後とも力を尽くしていきたいと思います。

 写真は支援者のみなさん・孤児の方と懇談している県議団です。

介護の施設が足りない、高くて払えない

 介護4の認定を受けて、現在入院中の兄弟のことで相談を受けました。

  寝たきりで流動食とのことです。これ以上の回復は望めないので退院を求められたのだが、自宅介護も大変だし、3つの施設を紹介されたが,あきまちで費用は月に13万円位と言うのです。

 自分も年金暮らしで費用を出せないと言います。

 障害の手帳をもらえないかどうかお医者さんに相談すること、障害の認定が1級か2級になれば医療分がかからなくなるので少しは費用が安くなるのではとアドバイスをしました。

 日本共産党の第3回中央委員会で志位和夫委員長は、まじめに働いても生活保護水準以下の生活しかできない貧困層が10世帯に1世帯、400万世帯を超え広がっている、病気、介護、老い、などがきっかけで、国民の誰もが(貧困は)おこりうる、と述べ、庶民に大増税・大負担、大企業・大資産家に減税、などの逆立ち政治を変えようと呼びかけました。

 私も、1昨年、6年介護した母をなくしました。

 絵は母との別れの日、庭に咲いていた花をかいたものです。

 赤くてきれいだったので母の棺に入れてやりました。

格差社会・貧困は誰にでも

医療相談が相次いでいます。

 先日の方の相談は59歳の親が、この2~3年入退院を繰り返し医療費が払えなくなったと言います。蓄えもなくなり、親戚からの援助もこれ以上は無理と言われ、本人も住宅ローンがありどうしようもなくなったと言います。

  給料はこのところ同じ仕事でも下がっている、ボーナスもほとんどないと言います。給料が上がる、ボーナスが出ると言うことが前提で住宅ローンがくまれることが多い中、誰かが病気になったりするとたちまち生活ができなくなるのが今の社会です。

 入院が長いこともあり、その他の条件もクリアーして何とか医療保護を該当してもらいました。

錦の中田区公民館で懇談会

錦の後援会主催で中田区公民館の懇談会がありました。23人の参加で和やかに行われました。

お話したのは伊藤市議と宮川です。

懇談の中で矢祭町の子育て支援、そのための財政作りの話が出されました。この場のが、福祉の充実の話をすると夕張のようにならないかと言う質問が出されます。

 夕張は財政を無視した公共投資のために大赤字になったのです。逆に、無理な大型団地開発で財政再建団体になった福島県の泉崎村は福祉の充実で住みよい町になりつつあるそうです。

医療の相談が多いです

日々の生活がぎりぎりのため、大病で入院をするとたちまち生活に困る人が多いです。

 今日の相談の方は、胃がんで入院をして胃を摘出したそうですが、日々の生活がぎりぎりだったため今後の医療費の見通しが立たないと言うのです。仕事もパートだったため休業補償もありません。またパートをしながら治療費を稼ぐと言うのですが、仕事が勤まるかどうか、病気がいい方に向いてくれるかどうか、心配しての相談でした。

 頼りにする子どもさんも3人の子ども(彼女にとっては孫)を抱えていて、またその子どももぜんそくを持っていて治療費が大変で子どももあてにできないとのことでした。市の福祉事務所に相談に行ったけど家族が車があるので門前払いだったと言います。

 とりあえず、何とか働いてみるということにして、体が持たないときはまた相談をすることにして別れました。

 命の不安と医療費の不安を抱えながら生きていかなければならない彼女のことを考えて、重い気持ちで帰途に着きました。もちろん、子どもの医療費を中学校まで無料にする署名は「ぜひぜひよろしく」と言われました。

写真は市美展にて