3週間ぶりに帰ってきました・人工透析のMさん

大震災の日からいわき市で人工透析ができない病院が続出しました。病院そのものが被害にあったり、水や電気などのライフラインの喪失などの要因がありましたが、原発災害でお医者さん看護師さんなどのスタッフの避難、また、いわき市に必要な資材が入ってこなくなったなどの要因が加わりいわき市の場合はより深刻になりました。一刻の猶予もできない人工透析の皆さんはの悲痛な叫びは深刻でした。Mさんは、バス10台でとにかく行く先もそこそこに他の都市に散らばったといいます。東京に行くことになったMさんは、避難所を3箇所転々として、人工透析を行い3週間たって帰ってきたとのことです。私のところにもガソリンがなく透析にいけないという人からの電話が続出しました。みんながわずかばかりのガソリンを持ち寄って誘い合って透析にいけたという報告もありました。今も人工透析新患の受け入れは厳しいです。いわき市の医師不足は、震災前も大変でしたが、その対策はよりいっそう重要になっています。
写真は、庭の椿、考えてみれば梅も見ず桜が咲いたのもわからずの日々でした。

「くそー!こんなところで死んでられっかー、そうやって船残したんだ!」・相馬の漁民の方と懇談

4月7日、市会議員の渡辺博之さんと相馬港・漁港・地域の被害の状況を調査し漁業者の方と懇談しました。相馬港・漁港とも被害の状況はいわきの規模やひどさとは比べ物にならないほどのひどさです。それでも漁業者の皆さんとの懇談では、船を10マイル(1600m ×10)も沖に出して(あの津波の中)命がけで船を残したんだー、こんなところで死んでられっかーとがんばったんだという話になり、行動を起こそうという話になりました。

写真は、進む仮設住宅


写真は、遠くに相馬火力発電所


無事な船


以下は、破壊された相馬原釜漁港

写真は、相馬原釜港


写真は、復旧目指す松川造船


写真は、相馬磯部地域。
磯部地区は、もう1ヶ月近くになるのに見渡す限り泥の海で、ここに家々があったなど考えられないような状況でした。避難も地形的に困難で多くの方々がなくなったとのことです。今日も遺体のの捜索が行われていました。うちの親戚もこの地域にいましたが、たまたま外出中で難を逃れたとのことでしたが、多くの知り合いがなくなったといいました。
写真は、一面泥の磯部地区、もっとも被害のひどかったと


写真は、泊めていただいたて食事もご馳走になったNさん宅

東日本大震災・原発震災の相談窓口のお知らせ

3月11日午後2時46分,三陸沖を震源とする巨大地震に福島県も襲われ,強烈な揺れと大きな津波によってこれまで経験したことのないような甚大な被害が発生しました。それだけでも耐え難いことなのに東電福島第一原発が大量の放射能を放出し,地震被害に原発の放射能被害が重なった,世界で初めての「原発震災」となりました。8万数千人がふるさとを逃れ,いつ戻れるのか分からず生活そのものが根底から覆させられています。また,放射能による環境汚染は関東にも,海洋にも広がりだし,「世界最大の公害」になりかねないものとなっています。東電と政府はなんとしてもこれ以上の汚染を食い止めるためにいっそう全力を注ぐことが求められています。
福島県内の被害は工業,商業,農林漁業のすべての産業におよび,失業だけでも原発30キロ圏内で約4千800事業所の労働者5万8000人の可能性があると見られています(3月29日 福島労働基準監督局発表)。農産物は一時,出荷停止や摂取制限が出ただけでなく,風評被害が広がりだしています。漁業も全く見通しが立たなくなっています。多くの人が人生の根底を崩されようとしています。
すでに私たちのところにも,今後の生活をどうするかなどの相談が寄せられています。一人ひとりの相談内容に違いもあると思いますが,いまを生き延びるための共通点を見出して行政や顧問弁護士にもつなぎ,また,中長期的には法律改正や賠償を求めていく準備をするため,相談窓口を設けました。

<相談窓口> 地震,津波関連は いわき市労働組合総連合(市労連)
いわき市内郷御厩町三丁目101 教育会館内
電話 27-3322(フアックス兼)
原発震災関連は 原発の安全性を求める福島県連絡会臨時窓口
いわき市平字北目町39の11 伊東達也宅
電話 23ー0488 fax 21ー9246

写真は、相談窓口発足にあたり、伊東達也さんの放射能などの講演

急がれる小名浜港の復旧・雇用問題深刻に

4月4日、長谷部さんと小名浜港の状況を改めて視察しました。またそこで働く人たちからの声を聞き、小名浜港湾事務所に激励と要望を届け意見交換をしました。小名浜港から物を運び込み操業している会社は多いです。大手の会社が今回の災害でストップをし多くの働く人や子会社が危機に陥っています。大手の会社の操業時期などを示してもらい下請けや関連会社にがんばってもらうよう働きかけることが大事なことも伝えて協力もお願いしました。

写真は、小名浜の被害の状況


写真は、水浸しになった小名浜港港湾事務所の書類

復旧前進に重機が必要・同じ被災者住宅に入りたい

津波などで壊滅的な被害を受けた方々の復旧活動が始まっています。その仕事は本当に大変です。精神的肉体的な疲労の中で体調を崩す人も増えています。重機がないとなんともなりません。早急な対応を求められました。また津波は地域一帯を破壊しているので、お互いに支えあうことが必要です。被災者住宅はぜひ同じところに入りたいと要望を受けました。


写真は、破壊された小浜渚地域の堤防


写真は、重機を待つ地域

写真は、懸命に津波の被害の住宅を片付ける皆さん

元気にスタート・鮫川河川敷産直販売

原発の風評被害に負けないで、今日から鮫川河川敷で農産物の産直販売が始まりました。午後からは農村地域を訪問しました。近所のスーパーから当分野菜はいいですと言われた人も。方向の見える原発の発表がほしいです。


写真は、車で野菜を持ち寄った皆さん。

南からの津波でしょうか?茨城県境の岬の影の勿来海水浴場付近の被害は少ないのです。逆に、南に直接面している岩間地区の被害がひどかったのです。

海岸線を歩いて、津波の被害の状況を見ると、南向きの海岸線に大きな被害があるように見えます。南からの津波だとすれば、茨城県堺の岬に守られた勿来漁港(九面)や勿来海水浴場、勿来関田地区の被害が少なかったことが納得いきます。また、薄磯は多くの犠牲者を出しましたが、薄磯の南端は、やはり南側の灯台のある岬に守られていたようで被害は少ないのです。歩いてみて、直接海に面しているのになぜ被害がないのかと思うところもあり津波は不可解です。自然の猛威の中で力のなさを実感しています。


写真は、勿来町関田地区の堤防


写真は、海に面して走っている6号国道


写真は、勿来付近の地図

「すべての被災者に区別をつけず支援を」被災者住宅申し込み・小口融資申し込み始まる

31日、被災者住宅申し込みが始まっています。第一次分は4月8日まです。(第二次分も始まります)。申し込みは、いわき市の場合平の文化センターで、各支所でも行われています。津波や原発から避難された方などが対象です。また、小口融資資金も10万~20万です。(申し込みは災害対策本部)。日本共産党福島県委員会は、3月31日あらゆる避難者の区別ない支援を求めました。

これに先立ち、日本共産党の志位委員長は、3月27日に福島県飯館村や南相馬市などを視察しました。首長などの要望を踏まえ、政府に緊急要望を行いました。①放射線データーの正確速やかな公表②原発退避指示地域の速やか物資等の確保万全の体制③国としての人的配置自治体の要望実現④風評被害防止⑤あらゆる避難者の区別をつけない支援を申しいれました。

写真は、被災証明をもらい、被災者住宅申し込みをする方々。
写真は、社会福祉協議会窓口で小口融資も始まります。

なにもない控え室・すさまじいばかりの県の災害対策本部

30日、地震後初めて県議会と県災害対策本部に行きました。被害対策に追われ交通網も寸断されていましたが、議員団会議をもち今後の方向などを協議しました。県議会控え室は、地震の被害でめちゃめちゃになったようですが、事務局の古川さんがかたずけてくれました。県の災害対策本部は自治会館に引越ししていましたが、3階の本部には200人くらいの人がぎゅうぎゅうに入っており、廊下には全国のマスコミが100人くらい陣取ってごったがえしていました。東電の部屋と国の部屋もありましたが・・・こんな状況で大丈夫でしょうか。

写真は、地震の被害のあと、片付けられた控え室と本


写真は、県庁が使えなくなり自治会館に引越しした県の災害対策本部と廊下に陣取ったマスコミ陣