11月6日、勿来遠野地区・日本共産党後援会長の林三郎さんがお亡くなりになり葬儀が行われました。林三郎さんへの弔辞(概略)です。
林さんは大正13年生まれで、ちょうど私の母と同じ年齢ですが、その年齢差を全く感じさせない若さあふれる頭脳を持ちそして行動をされてきた方でした。後援会の会長として私の市議としての25年間・県議としての7年間を支えてくださいました。いつも青年のような気持ちを持ち、常に勉強をされ、私どもが恐縮をするほど謙虚でした。街頭から演説をしたり、時間の許す限りどこにでも出かけメモを取り勉強をされている姿を今も思い出します。後援会の新年会ではピアノを引いて歌を歌って、それもレパートリーが広く演歌でもフォークでも何でもこなし、時には作詞作曲もしてくれました。
私たちが生まれる前の時代の共産党の話と長年の活動の話は圧巻でした。横須賀海兵団入団の時の話では、布団の中で上官がこっそりとこの戦争は負ける絶対死ぬな生き延びよと言ってくれた、そしてその後命をかけて戦争に反対した共産党に入ったと。石炭が斜陽化して多くの失業者をだし、あすのコメもない人たちに失業対策事業を起こし労働組合を作って生活を守る運動をやってきた、社長の娘との縁談も断って働く人の立場を貫いたとかユーモアを交えて話をしてくれました。
今から20年くらい前、沼部の炭鉱の坑道に産業廃棄物の廃油を大量に不法投棄された時、県が代執行をして早く組み上げをしないと地下水が汚染されてしまうと、廃油の汲み上げを求める会を作ったときは、会長として先頭に立って頑張ってくれました。県に代執行で組み上げを実現させただけでなく、厚生大臣にも陳情し、国を動かし排出者責任法を作るきっかけになりました。
みんなに優しく、奥さんのことを話されるときは本当に優しく、頼りにされ、尊敬され、これ以上の人とこれから会うことができるのかと思うほど私の人生にとって大きな存在でした。今、安倍内閣のもとで、集団的自衛権や秘密保護法など、アメリカと一緒に戦争ができる体制を進めようとしている政治が進んでいる中、自ら戦争を体験し、二度と戦争を繰り返させないと言う思いで共産党の活動をされてきた林さんは、今の情勢を見て心残りだったのではないかと思います。そして私たちに自分の分もがんばれと言ってくれているのではないかと思います。長いあいだ本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。
写真は、写真集の前で
写真は、弔辞