原発災害で2年8ヶ月たった今も津波の傷跡そのまま・南相馬市小高区・全県議員会議

日本共産党全県議員会議が17日・18日と行われましたが、2日目の今日は原発災害で今も津波の傷跡そのままの南相馬市小高区を視察しました。福島市から飯舘村を通っていきますが、飯舘村は全村避難で除染が本格的に行われていました。美しかった田んぼはどこもかしこも草で覆われていました。

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南相馬を案内してくれたのは、渡部寛一南相馬市議です。原発事故による「避難指示解除準備区域」になっている小高区・浪江町請戸(うけど)地区の内面排水用のポンプ場付近は一年半前(2012年5月11日)に県議団で視察した時は水浸しでしたが、今はセイタカアワダチソウなど草に覆われ、ひっくりがえった車がアワダチソウの茂みに隠されるように残されていました。500軒もあったと説明された家々は見るも無残な形で数軒がポツンポツンと残っていました。

渡部市議は、この水門を開けるのに自衛隊に頼んで放射能の恐怖に怯えながら、3回失敗し4回目にやっと開けることができた、40センチしか開けられなかったがそれでよかった(亡くなった人を見つけるためには)と言い目頭を押さえ説明してくれました。

写真は、渡部貫一市議から水門の場所で説明を聞く

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写真は、2年8ヶ月前そのままの津波あと

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写真は、第一原発から6・5キロメートル・遠くに第一原発が見えます

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写真は、やっとがれき置き場が作られている

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JR浪江駅前商店街では今でも地震の被害そのままで新聞店に2011年3月12日付の新聞が積まれたままでした

写真は、地震の後そのままの浪江駅前商店街

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写真は、なみえ焼そばで有名だった店も蔦で覆われて