遂に核兵器禁止条約の50ヵ国批准が達成!!

【フェイスブックより】ついにやった!。浦上天主堂前で訴え、NHKの朝ドラ「エール」。先週は名曲「長崎の鐘」が生まれるまでが描かれ、22日と23日は被爆直後の浦上天主堂が再現されました。そして25日早朝、核兵器禁止条約の発効が確定しました。本当に素晴らしいことです。核兵器保有国などは批准していませんが、アメリカが「批准するな」と各国に圧力をかけた事実は、この条約の発効に対する恐怖があるからでしょう。【NHK朝ドラ、この日は長崎の原爆のことを放映してました】先週のNHKの朝ドラ『エール』では、長崎の原爆投下後のことを記録した永井隆医師の手記『長崎の鐘』にまつわるエピソードが取りあげられていました。主人公の作曲家が、映画『長崎の鐘』の主題歌をつくるため、作者の永井医師に会いに行く話でした。主題歌『長崎の鐘』の詞をつくったのは、サトウハチローさんです。

こよなく晴れた青空を      悲しと思うせつなさよ    うねりの波の人の世に    はかなく生きる野の花よ   なぐさめ はげまし 長崎のああ  長崎の鐘が鳴る

サトウさんの詞には、原爆を直接描写した部分はどこにもありません。それは当時の米軍が検閲し原爆の描写を許さなかったからです。しかしそのことが、かえって詩の意味を深く悲しくしています。学生時代、長崎に一人旅をして、浦上天主堂に立ち寄った帰り、駅前の書店で文庫本の『長崎の鐘』を買いました。汽車のなかでボロボロ泣きながら読んだことを思い出します。長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井医師は、被爆で妻を亡くし、自らも重症を負いながら、日夜、被爆者の救護にとりくみました。『長崎の鐘』では、破壊された長崎の町や死んでゆく同僚や市民たちの様子が克明に描かれています。

『長崎の鐘』を読んでもなお、核兵器は必要だ、抑止力だと確信する人間がいるのだろうか。

志位核廃絶 【クイックしてください】

 

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日本共産党県議団、東日本大震災・原子力災害の伝承館へ

22日、日本共産党県議団は福島県双葉町にある、東日本大震災・原子力災害を語り伝える施設【伝承館】へ行きました。

入口に全体を説明するシアターがありました。各種展示も。【語り部の方が今日は紙芝居で】

隣の物産館の屋上から、中間貯蔵施設が見えます。

伝承館の前で

渡辺藤一さん、街中活性化絵画展

21日、渡部藤一さんの街中活性化絵画展を見てきました。湯本温泉に活気をと吉田さんがギャラリイを開設したものです。渡部藤一さんは95歳、共産党員として長く活動し、市会議員もやられた方で、私も市議の時ご一緒しました。懐かしい風景がたくさんありました。藤一さんの生きてきた歴史です。益々元気で地域のために活動してほしいと思います。

「いわき市民訴訟」結審・思いを込めて訴える

21日、「いわき市民訴訟」の結審の日です。思いを込めて訴える集会が開かれ裁判所に行かれる方を励ましました。元の暮らしを返せのいわき市民訴訟は、2013年3月11日提訴、いわき市民1574名(原発事故当時0歳~18歳まで256名を含む、懐妊してた人含む)【団長の伊東達也さん挨拶】 【各地で裁判を行っている方からの励まし】【日本共産党いわき双葉地区・熊谷とも委員長、私・宮川】

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訴えていることは、①原発事故は、国の規制基準が適切に行使されず、原発推進一辺倒の政策の中、国と東電との癒着、情報隠蔽などによって発生した人為的事故であったことを断罪する。②避難指示区域外であっても、いわき市民が放射能汚染への深刻な不安による日常生活を阻害される被害が続いていることを認めさせ、正当な被害者救済をはかること。【伊東達也団長先頭に裁判所に入る代表、報道より】【高橋明子市議と】

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