青年後援会が水を持って応援に、震災お見舞いをしながら配りました

17日、日本共産党青年後援会の皆さんが水を持って応援に来てくれました。街頭から震災お見舞いをして、水を配りました。介護施設をしている方はとても助かったと言い、一人暮らしのお年よりは水汲みで腰を痛めた本当にありがとうとおっしゃってくれました。傾いた建物対策と廃棄ごみ対策の相談もいただきました。青年後援会の皆さんは、走って水を配ってくれてみんなにとても喜んでいただきました。


写真は、街宣でお見舞い。水を配布しました。

被害広がる誘発地震

4月11日・12日の余震というべきか誘発地震というべきか、私の住んでいるいわき市南部を中心に被害が広がっています。一人暮らしの高齢者は壊れた家で途方にくれています。かたずけボランテアの方ががんばってくれています。


写真は、倒れた碑


写真は、さらに崩れた仁井田歩道脇の崖・通学路なのです


写真は、全壊した家

SOS・危険なブロックが取り除けない。避難先でがんばっている共産党議員

16日、今日も余震で被害が大きくなっている勿来地域を中心に調査しました。倒れそうなブロック塀の撤去を相談されましたが、市も県も対応できない、業者は依頼が殺到していて対応できないといいます。他県などの応援が必要ですが昨日県の災害対策本部に要請しました。


写真は、倒れそうなブロック塀

地域の余震の被害が多く、今日もがけ崩れで川がせき止められている状況の緊急対応を求めました。
写真は、がけ崩れの現場

大熊町の石田・広野町の畑中・浪江町の馬場町の各日本共産党の各町議が避難の状況や原発問題などについて挨拶をしました。写真は、長谷部あつしさんと私と3人の日本共産党町会議員

広がる強烈な余震被害・増大する避難者・多くの方々が不安と体調不調を

4月11日・12日に大きな余震があり、被害が増大しています。避難者も増え続けています。再び323人になった南の森(勿来スポーツ施設)を訪問しました。多くの方々が不安を募らせており体調の不調も訴えていました。お一人お一人のお話や要望を聞きました。強烈な余震で家が半壊全壊した人も多く、気持ちの落ち込んでいる方や、ひどい恐怖を感じている方も見えました。自分の無力も感じながら、しかし、自分を奮い立たせながらの日々です。

写真は、避難されている方々から要望をお聞きしました

写真は、立派な家でも壊れています

写真は、崩れた川部の県道


写真は、ヒビの入った鮫川の堤防

「東日本震災・原発事故に関する知事に申し入れ・いわき市南部の強烈な余震対策も」・議長には「全員協議会等の開催申し入れ」

15日、県庁で、原発を含む災害関連の知事申し入れを行いました。内容は①原子力事故による農林水産漁業等の損害保障生活支援②モニタリング調査の強化③トマトメーカーの契約休止問題・葉タバコ損害、④ダム対策⑤融資対策支援⑥教育⑦4月11日・12日のいわき市南部中通りの余震被害対策などです。
また、佐藤憲保議長には、全員協議会開催等の申し入れです。

写真は、災害対策本部に申し入れ

写真は、災害対策本部の状況

写真は、佐藤憲保議長に申し入れ

写真は、県庁裏の桜、桜の前で、咲き誇る桜と雪柳

強い余震がいわき市を襲う・南部の田人地域が大きな被害

4月11日、12日の余震は、復興にむけ頑張るいわき市に再び大きな打撃をあたえました。一時は市内全域で停電となり、回復しつつあった水道も、多くの地域で断水となりました。特に12日の余震は直下のもので、田人を中心に大きな被害をもたらしました。
田人町石住ではがけ崩れが起き、3人が亡くなり、御斎所峠は大きな道路隆起陥没や土砂崩れが起きました。また、田人中学校では体育館やプールが傾き近くの道路も車の通行ができなくなりました。お年寄りや一人暮らしの方などが支所脇の公民館などに避難しました。井戸沢断層が動いたのでしょうか?。浜から内陸の古殿方面がひどいです。関係機関に早急な対応を求めました。

写真は、御斎所街道はがけ崩れ・道路隆起陥没で通行不能に

 

写真は、田人中体育館プールが傾く


写真は、住民の皆さんから要望を聞く


写真は、せっかく直ってきた水道がストップに

測定した放射能値と発表された値はほぼ同じ・原発学習会

10日、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表の伊東達也さんを囲んだ勉強会が行われました。伊東代表は自分が持っている放射能測定器の値と発表されている数値はほぼ同じと言います。現在は1マイクロシーベルト以下なので注意深く報道を見ながら生活をしていけば大丈夫と。ただ、20マイクロシーベルトが長く続いた場合や一挙に200マイクロシーベルトになった場合は、避難も考えたほうがいいでしょうとのことでした。日本共産党は、日本と世界の英知を結集して、福島原発事故の一刻も早い収束を図ることを強く求めています。
写真は、伊東さんの講演


写真は、私の津波震災の報告

震災から1ヶ月、復興が進む地域を日本共産党中央委員会と県委員会が視察・関係者と懇談し要望を受ける

震災ご1ヶ月になる、4月10日、日本共産党中央委員最上清治さんと県書記長町田さんがいわき市を訪問し、津波の被害にあわれた現地の生の声を聞き、関係者と意見交換しました。また、いわき市災害対策本部も訪問し激励要望も聞きました。


写真は、錦町須賀にて


写真は、小名浜港にて

3週間ぶりに帰ってきました・人工透析のMさん

大震災の日からいわき市で人工透析ができない病院が続出しました。病院そのものが被害にあったり、水や電気などのライフラインの喪失などの要因がありましたが、原発災害でお医者さん看護師さんなどのスタッフの避難、また、いわき市に必要な資材が入ってこなくなったなどの要因が加わりいわき市の場合はより深刻になりました。一刻の猶予もできない人工透析の皆さんはの悲痛な叫びは深刻でした。Mさんは、バス10台でとにかく行く先もそこそこに他の都市に散らばったといいます。東京に行くことになったMさんは、避難所を3箇所転々として、人工透析を行い3週間たって帰ってきたとのことです。私のところにもガソリンがなく透析にいけないという人からの電話が続出しました。みんながわずかばかりのガソリンを持ち寄って誘い合って透析にいけたという報告もありました。今も人工透析新患の受け入れは厳しいです。いわき市の医師不足は、震災前も大変でしたが、その対策はよりいっそう重要になっています。
写真は、庭の椿、考えてみれば梅も見ず桜が咲いたのもわからずの日々でした。

「くそー!こんなところで死んでられっかー、そうやって船残したんだ!」・相馬の漁民の方と懇談

4月7日、市会議員の渡辺博之さんと相馬港・漁港・地域の被害の状況を調査し漁業者の方と懇談しました。相馬港・漁港とも被害の状況はいわきの規模やひどさとは比べ物にならないほどのひどさです。それでも漁業者の皆さんとの懇談では、船を10マイル(1600m ×10)も沖に出して(あの津波の中)命がけで船を残したんだー、こんなところで死んでられっかーとがんばったんだという話になり、行動を起こそうという話になりました。

写真は、進む仮設住宅


写真は、遠くに相馬火力発電所


無事な船


以下は、破壊された相馬原釜漁港

写真は、相馬原釜港


写真は、復旧目指す松川造船


写真は、相馬磯部地域。
磯部地区は、もう1ヶ月近くになるのに見渡す限り泥の海で、ここに家々があったなど考えられないような状況でした。避難も地形的に困難で多くの方々がなくなったとのことです。今日も遺体のの捜索が行われていました。うちの親戚もこの地域にいましたが、たまたま外出中で難を逃れたとのことでしたが、多くの知り合いがなくなったといいました。
写真は、一面泥の磯部地区、もっとも被害のひどかったと


写真は、泊めていただいたて食事もご馳走になったNさん宅