28日、29日と津波被害が甚大だった宮城県石巻市を、日本共産党県議・三浦一敏さんのご案内で視察しました。自治体学校での原発汚染水問題の講演を聞いて午後から視察に向かいました。
高台にある日和山公園で被害の全体像の説明を受け、門脇小学校・石巻魚市場・白地地区・女川・大川小学校・開成仮設などを案内してもらいました。
3年5か月が過ぎると被害状況のリアルさはあまりわかりませんが、震災前と後との写真で比べると、住宅が立ち並んでいるところが今は草の中か、ブルドーザーでならされています。災害が甚大だったので復旧工事は何もかもが大規模です
石巻港は改修され仮設ですが建物もきれいになっていました。そして放射能検査体制も魚をベルトコンベアー方式で検査をしていました。
ただ、大川小学校に行ったた時は、何とも言えず涙が止まりませんでした。
福島原発事故はいつまでたってもじわじわと苦しめられていますが、津波での直接死と向き合う残された皆さんはいかばかりだったでしょうか。石巻市は人口15万人のうち3700人が亡くなりました(不明者も含め)。
写真は、堤防構築・山の土をベルトコンベアーで海まで運ぶ・宮城県三浦県議と
写真は、JRも内陸に架け替え
写真は、出会ったボランテアの方に説明を受ける
写真は、津波が上がった目印・左のポールの上まで
写真は、石巻魚市場では、ベルトコンベアー方式で魚の放射能検査・志摩喜代一常務取締役に説明していだたきました.
写真は、大川小学校
写真は、大川小学校の碑・教師10人・児童74人・生徒3人・地区の多くの方々の霊碑
写真は、仮設住宅で三浦県議は頼りにされていました。