13日、毎週夕方6時からの原発なくせ汚染水対策は国が全責任を持ってと訴えました。
写真は、いわき駅前の金曜行動
13日「原発なくすいわき市民の会」主催の被災地視察に行ってきました。いわき市の北は原発から30キロ圏内に入っています。第一原発に向かって、広野⇒楢葉⇒富岡と行きました。富岡町は一部入ることができるようになりましたが、地震・津波の後そのままでした。もっと北の大熊と双葉街には入れません。富岡町の帰宅困難区域との境は放射能測定値が5μシーベルトと高くなっていました。
帰りたくても帰れない条件は山のようにあります。残った家が無事でも帰れない方々は二重ローンで苦しんでいます。
写真は、いわき市北部・久の浜。原発から30キロ圏内で津波の被害も受けました
写真は、広野町の広野駅。駅も北は案内が空白です。広野町は20キロ圏内で1年4ヶ月経っても戻った人は2割です。
写真は、楢葉町は除染の町です。原発反対で頑張った早川さん(宝鏡寺住職)は、原発事故後は除染の仮置き場に一番先に自分の田んぼを提供しました。
写真は、富岡町の駅前。津波の後片付けもできず車が置き去りになったまま。黄色い花が咲いているばかりでした。駅前商店街は大震災のまま。(富岡町関係は3枚)
写真は、原発立地地域の写真。
◎赤は帰還困難区域・年間50ミリシーベルト以上・5年間は帰還しない・立ち入り禁止。
◎黄色は居住制限区域・年間20~50ミリ・昼間の立ち入り可・3~5年くらいかけて帰ろう と・・
◎避難指示解除準備区域・年間20ミリ以下・除染して帰れるように取り組んでいる