15日・16日、福島市で日本共産党東北後援会が交流会を開きました。前から予定していた日程でしたが、九州・熊本大地震があり早速募金を集めました。また、高橋ちづ子衆議院議員から国政のリアルな報告と日本共産党大地震対策本部の報告がありました。
写真上は高橋ちづ子衆議院議員。写真下は、いわぶち友比例代表候補。
募金の訴えに皆さん大きな協力を。
市田忠義比例候補の講演はよくわかりやすく元気百倍の話が。
福島市の花見山は多くの観光客が訪れていました。大阪・静岡・栃木・会津の方とすれ違いました。
15日・16日、福島市で日本共産党東北後援会が交流会を開きました。前から予定していた日程でしたが、九州・熊本大地震があり早速募金を集めました。また、高橋ちづ子衆議院議員から国政のリアルな報告と日本共産党大地震対策本部の報告がありました。
写真上は高橋ちづ子衆議院議員。写真下は、いわぶち友比例代表候補。
募金の訴えに皆さん大きな協力を。
市田忠義比例候補の講演はよくわかりやすく元気百倍の話が。
福島市の花見山は多くの観光客が訪れていました。大阪・静岡・栃木・会津の方とすれ違いました。
14日、夜~明け方にかけて大きな被害にあわれた九州・熊本地域の皆様に心からお見舞い申し上げます。5年前の東日本・原発事故で大きな被害に会い今も続いている福島県に対し全国の皆様に大きな支援をいただき今もお世話になっています。私たち日本共産党福島県議団もできる限りのご支援を申し上げたいと思います。
日本共産党・福島県会議員・宮川えみ子
14日、日本共産党・福島県議団といわぶち友・熊谷とも・参議院予定候補、当事者の住民の方々と、住まいの確保等について、政府交渉を行いました。高橋ちづ子衆議院議員・日本共産党も同席してくれました。
福島県は、仮設住宅について避難指示区域及び津波被災地の特定地域延長を除いて、来年度3月で住宅提供を終了するとしていますが、原発事故により一時全住民が避難した広野町や川内村では今も半数近くの住民が避難を続けています。これらの避難者を追い詰めるような打ち切りをしないよう求めたものです。国は、いろいろな声を聞いて福島県は判断したと思う、国は何にも支援しないということではないと回答しました。
一緒に行った川内村や広野町の住民の方々は帰れる人もいるがさまざまな事情で帰りたくても帰れない人も多い、帰れば生活ができない人も多い、延長が必要とそれぞれ延べました。共産党県議団が前もって住民の方々と懇談した時も多くの声が打ち切りに心配している、原発事故の責任を果たすべきと厳しく求めました。
この場での明確な回答はありませんでしたが、直接住民の方々の声を届けたことは大きな意義があったと思います。避難指示解除での問題、まったく約束しても守らない不誠実な東電の賠償対応を指導する問題、除染についても行いました。
写真上は、お昼は国会の形になっているのり弁当。写真下は、国会の周辺も新芽がきれいでした。
10日、常磐地区後援会お花見会でした。隣のグループともお友達になり、トン汁と焼き肉を交換して食べました。日本共産党第5回中央委員会総会のリアルタイム視聴会に参加しました。勇気が出ますね。
8日、母校・磐城桜が丘高校の入学式に議長代理で出席しました。ここは私の母校でやっぱり桜がすごかったです。当時は女子高で・磐城女子高等学校といいました。
写真は、校長先生と同窓会会長さん。
写真上は、高校前の桜並木
写真下は、午前中はポスター張り
4月7日、日本共産党県議団は、熊谷智参議院選挙区候補と川内村・広野町の避難者の方々と県交渉を行いました。交渉の内容は①来年3月で打ち切りとしている避難者の住まいの確保②住民との十分な協議なしでの避難指示の解除やめよ③賠償打ち切りを許さず完全賠償を求めること④除染についてです。
県は国の指示のもとに、災害救助法にもとづいて住宅支援を打ち切ろうとしていますが、地震や津波のような自然災害を想定して作られている法律で原子力災害の対応を行なうことが大問題です。(原子力災害は、放射能による・賠償等・コミニュテイの破壊・家族のバラバラなど、異質の問題を引き起こしている)
避難住民の方々は、帰りたくても帰れない、賠償も線引きで対象にならずお金もない、帰っても医者もいない、買い物にも行けない、農業や山菜やキノコ採りもできず少ない年金で暮らせない、3世代で暮らしていたが子どもや孫は帰らないなど、口々に強制的打ち切りをしないように訴えました。川内村は隣町の富岡町が買い物・病院・仕事等のよって立つ場でしたが、ここは帰還困難地域です。
5日、昨日に引き続きいわき市四ツ倉町にある広野町の仮設住宅の皆さんと懇談しました。何度も引っ越して今が一番落ち着いてきたところだ、友達もできた(仮設を)出されたら困るという人や、除染・原発・工事をするいろんな人がいっぱい来てて街が変わってしまった、広野の人はあまり帰っていない、帰れないなどの意見も出されました。商売のをやってた方は、H25年12月で賠償打ち切られたと言い、またある方は賠償がないので家の修理もできないという人もいました。
広野町にある民間病院の高野病院も訪問しました。事務長さんは、ベット増床要望が進まない、この地域いわき市を含めた医療体制の方向が見えないと話されました。詳しくは2月12日のブログを見てください。高野病院は原発事故でのさなか住民を守って患者の治療にあたった病院です。
写真は広野(上)仮設の前で、左から吉田栄策県議・私・畑中大子元広野町議・神山悦子県議・宮本しづえ県議・阿部裕美子県議
写真(下)高野病院での懇談
大震災・原発事故からまる5年が過ぎました。しかし福島県はいまだに避難されている方が10万人近くいます。県は国の方向を受けてこの一年で仮設からの退去を求めることにしています。県は避難指示区域以外としていますが、川内村などは個人の意思で避難したのではありません。
避難されている方々はどのように考えているのか直接お伺いしてお話を聞こうと5人の共産党県議団は、郡山にある川内(かわうち)村の仮設住宅にお邪魔してお話を伺いました。
郡山の川内村の2か所の仮設住宅では、多くの住民の方々が集まってくれて、除染してもまだ放射能が高いところがある、若い人は帰らないので車の運転もできない自分だけがかえっても暮らせない。医者は月5回だけの出張で来るだけ、買い物もできないし、野菜作ったり、山菜やきのこ取ったりもできない、第一引っ越し費用もないと言います。
さる3月27日、川内村は、村民の声が届かないと総決起大会を開きました。区長会長が代表で200人(全村民約3000人)が集まったと言います。
決議案の内容は次の通りです。原子力災害で一瞬にして・・雄大で美しい自然を失った・・家族のだんらん・・子どもの声・・仲の良かった隣同士のいがみ合い・・戻る戻らないの家族の気まずさ・・賠償での心と地域の分断・・具体的には、①除染で安心を②復興帰還に支援を③国保介護等支援継続を④高速道無料化を⑤不安な仮置き場・環境の整備を⑥原子力災害損害賠償の格差是正生活支援を⑦教育支援を進学者への奨学金支援をなどです。
インフラ一生懸命だけど、住民の支援は遅れている、5年で帰れるものではないとの思いが決起集会でしたとのことでした。写真は、要望者をいただきました。
私の遊び相手だったりょうごくんも新年度から小学校6年生です。遊具での遊びももう終わり、卓球やっても五分です。対等な関係になってきました。うれしいやら寂しいやらですね。
今日から4月です。なんとなく街宣も手を振る人も明るい・話はそうでないんだけど。金曜日の定点街宣で出勤の方や商店の方にご挨拶。
息子夫婦は仕事なので春休みの孫のお昼ご飯も家にいるときは時々面倒見ます。今日はインスタントラーメンに、モヤシ・昆布・ネギ・肉・卵を入れて。高校生と今度高校生になるのはまだ寝てる。
庭の花も、ゆきやなぎ・馬酔木・すみれなどなど勝手に咲いています。ゆきやなぎは夫の母親が亡くなった時記念に植えたもの。そういえば今日のNHKの連続テレビ小説「あさがきた」であさが夫と記念に赤い花の咲く木を植えていたね。