共産党県議団・福島労働局に最賃引上げ申し入れ

12日、福島労働局と、福島地方最低賃金審議会に対し、物価高騰に見合う最低賃金1,500へ引き上げるよう、県議団で申し入れました.。渡辺満室長、矢吹吉幸補佐が対応してくれました。
福島県の最低賃金は858円、月額13万5000円しかなりません。間もなく、7月に第1回目の最低賃金審議会が開かれ、2回目の8/1の審議会で今年の県最低賃金が決まります。岸田政権は、時給1000円に引き上げる方向を示していますが、この物価高騰の中で焼石に水です。全労連の調査では、生計費は都会でも地方でもほとんと差はない結果でした。
県労連が行った福島県の生計費調査では、人間らしい生計費は、時給換算で1,700円余必要とされています。
福島労連局の渡辺賃金室長は、申し入れ書は中央に伝えると述べる、また審議会に資料として提出し、ホームページにもアップすると応じて頂きました。 

 

DSC_3764

 

 

DSC_3769

DSC_3770

詩人こもりきょうこ亡くなる・赤旗日曜版声の朗読者。

 

小森香子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小森 香子(こもり きょうこ、1930年2月1日 – 2023年6月28日)は、詩人社会運動家。旧姓・相本。

来歴[編集]

東京雑司ヶ谷生まれ。父は相本修平、母は桂島ふじ(桂島不二の名で雑誌に投稿していた)で、三女として生まれる。東京都立第十高等女学校在学中に学徒動員を経験。空襲関西疎開したが、再び動員される。

神戸女学院家政学部卒業後、大日本紡績本店に勤務するが、レッドパージに遭う。社会主義者小森良夫1926年 – 2008年)と結婚し、新日本文学会小説を発表。1961年から、夫が世界労働本部の常駐スタッフに就任したため4年間プラハに住む。帰国後、詩人会議常任運営委員、運営委員長、日本子どもを守る会理事、東京原水協日本平和委員会理事などで活動。2009年、詩集『生きるとは』で第37回壺井繁治賞を受賞した[1]

2023年6月28日、老衰のため都内の病院で死去。93歳没。子は日本近代文学者東京大学名誉教授の小森陽一、美術家の小森まどか1958年 – 1980年[2]

著書[編集]

  • 『ちいさい人間 幼児のしつけ』鳩の森書房 鳩の森文庫 1973
  • 『野の花のようなうたを 幼児のための朗読詩』鳩の森書房 鳩の森文庫 1973
  • 『山の英雄ヤーノシク 少年少女のための物語詩』小森まどか切り絵 岩崎書店 岩崎少年文庫 1976
  • 『花梨 詩集』青磁社 1981
  • 『母となるあなたに』青磁社 1982
  • 『青い空は青いままで 平和と子どもたちの未来を』青磁社 1983
  • 『ちいさい人間 幼児のしつけと幼児のための朗読詩』青磁社 1983
  • 『今日につながる明日のためのうた 小森香子詩集』青磁社 1985
  • 『陽子』青磁社 1986 かもがわ出版 2006(自伝小説)
  • 『明日葉』青磁社 1988
  • 『輝いて生きる 青春と愛とたたかいと』青磁社 1988
  • 『愛するならいま 小森香子詩集』青磁社 1990
  • 『飛び立つ 小森香子詩集』あゆみ出版 1994
  • 『わたしの五十年 小森香子詩集』詩人会議出版 1998
  • 『生きるとは 小森香子詩集』詩人会議出版 2008
  • 『小森香子詩選集』詩人会議出版 2010
  • 『子ども・愛・平和 小森香子詩文集』詩人会議出版 2014
  • 『ばらの樹 小森香子詩選集』文芸社 2014
  • 共著[編集『現代っ子としつけ』三上満,加藤則夫共著 鳩の森書房 1970
  • 『青い空は青いままで子どもらに伝えたい 母と子で語る昭和といま』小森陽一共著 五月書房 2005