月別アーカイブ: 2015年3月
りょうご君とお友達・隣町のプールに・街宣
同級生の大山登さん写真展・情熱と感性と努力の集大成
来年の参議院選挙で福島県出進の国会議員を!・いわぶち友さん記者会見
とてつもなく大きく長く続く原子力災害との戦い・農林水産常任委員会審査
原子力災害・放射能被害を受けて4年、福島県の農林漁業の課題はとてつもなく大きく長く続くことを改めて感じました。様々な取り組みも進んでいますが、今度退職される幹部の方が「震災後県職員として入った方が退職されるまで続くだろう取組」と言われたことを実感しました。
審議は12日・13日と続きました。風評被害の中での米価下落対策で種もみ支援で3億円、イノシシ対策で県がイノシシを管理することに、全町避難の大熊町の復興支援のシンボルとして植物工場(雇用15人)に12億円、農業用ロボット開発事業、避難地域農業支援で浜農業再生研究センター本格軌道に、漁協の自主検査支援、農業短大支援、緑資源問題で負担金の支払いがH43年度までに129億円、地震で大きな被害を受けた藤沼湖事業費補正+8億4千万で工法変更・物価上昇・土の購入変更など。ほとんどが原発放射能被害と切りはなせません。
写真は、農林水産常任委員会の審査
福島県主催の東日本大震災追悼式・「県内原発の全基廃炉を求め、再生可能エネルギー先駆けの地を創る事」と知事メッセージ・・・でもそれだけでいいのか
3・11・大震災原発事故から丸4年、いわき市で一番人的被害の大きかった薄磯
写真は、4年前の薄磯地区(上)
今日は2015年3月11日です。大震災・原発事故から丸4年です。今日に先立ち福島県いわき市はさる8日に各地区で追悼式が行われました。私はいわき市南部を中心に海岸沿いを歩いてきました。被害の大きかった各地域は大型重機が入りまったく様相が違う状況になっていました。
写真は、現在の薄磯地区(上)
写真は、大震災前の薄磯地区(上)(復興事務所のパネルより)遠くに豊間の灯台が見えます・灯台の下は美空ひばりの碑・地震と津波でも大丈夫でした。
いわき市で一番人的被害が大きかった薄磯地区も様変わりでした。地区の復興事務所にいた方が「高台移転の宅地開発が進んでいるが350世帯のうち100世帯くらいしか戻らないかも・・・」と言います。そして「原発で戻れない双葉群の方たちをここに迎えてはどうか」とも。また、建築関係の人材不足解消にCLT(ひき板を並べた層を板の方向が層ごとに直交するように重ねて接着した大型パネルの意味)工法利用はどうかなどのご意見も。
写真は、避難の方が詠まれた短歌