「すべての被災者に区別をつけず支援を」被災者住宅申し込み・小口融資申し込み始まる

31日、被災者住宅申し込みが始まっています。第一次分は4月8日まです。(第二次分も始まります)。申し込みは、いわき市の場合平の文化センターで、各支所でも行われています。津波や原発から避難された方などが対象です。また、小口融資資金も10万~20万です。(申し込みは災害対策本部)。日本共産党福島県委員会は、3月31日あらゆる避難者の区別ない支援を求めました。

これに先立ち、日本共産党の志位委員長は、3月27日に福島県飯館村や南相馬市などを視察しました。首長などの要望を踏まえ、政府に緊急要望を行いました。①放射線データーの正確速やかな公表②原発退避指示地域の速やか物資等の確保万全の体制③国としての人的配置自治体の要望実現④風評被害防止⑤あらゆる避難者の区別をつけない支援を申しいれました。

写真は、被災証明をもらい、被災者住宅申し込みをする方々。
写真は、社会福祉協議会窓口で小口融資も始まります。

なにもない控え室・すさまじいばかりの県の災害対策本部

30日、地震後初めて県議会と県災害対策本部に行きました。被害対策に追われ交通網も寸断されていましたが、議員団会議をもち今後の方向などを協議しました。県議会控え室は、地震の被害でめちゃめちゃになったようですが、事務局の古川さんがかたずけてくれました。県の災害対策本部は自治会館に引越ししていましたが、3階の本部には200人くらいの人がぎゅうぎゅうに入っており、廊下には全国のマスコミが100人くらい陣取ってごったがえしていました。東電の部屋と国の部屋もありましたが・・・こんな状況で大丈夫でしょうか。

写真は、地震の被害のあと、片付けられた控え室と本


写真は、県庁が使えなくなり自治会館に引越しした県の災害対策本部と廊下に陣取ったマスコミ陣

広野町といわき市に義援金・みんなが心をひとつにして難局を乗り切ろう

29日、原発問題で避難している広野町に畑中大子町議と日本共産党いわき双葉地区委員長と私で義援金をお届けしました。町長は大変喜んでくれて町民の皆さんも現金が必要、町で当座の生活資金を支給するといいます。そして原発問題など国の責任で進むよう求めていただきたいと述べました。いわき市長には義援金をお届けしながら、住宅問題などで意見を交換し、みんなが心をひとつにしてがんばりましょうと激励しました。


写真は、広野町長に義援金を手渡す


写真は、小野町体育館に避難した皆さんを畑中町議と激励、酸素吸入器を持ち込んでの方も。


写真は、広野町がひっこししている、小野町体育館に入る時放射能の測定・スクリーニングをしました。

写真は、いわき市長に義援金を手渡し、懇談激励をしました。

「仕事に行っている間に両親が持っていかれた・・」、夢かと思っても夢じゃない、こんな現実を乗り越えていくしかない、震災被害が長引く中、宮川事務所に「震災お見舞いと困りごと相談案内」の手書き案内看板を出しました

今日は、仕事に行っている間に(津波で)両親を持っていかれたという方から住宅要望をいただきました。明日から(~4月8日まで)いわき市では、被災者住宅募集が始まります。悲しみにくれているどころではない現実がまっています。震災対策はこれからが本格的です。宮川事務所に「震災お見舞いと困りごと相談案内」の手書き看板を出しました。(被災者住宅募集の今回分は今日から4月8日までで、インターネットのいわき市のホームページを見てください)
写真は、宮川事務所に「震災お見舞いと困りごと相談」案内の手書き看板を出しました。


写真は、河川崩れ現地調査です。

お風呂に入れてやりたい・特別養護老人ホーム等を訪問

27日、特別養護老人ホーム等を訪問しました。地震の被害がひどく当面閉鎖になってしまった施設、ボイラーの損傷やスプリンクラーの作動で部屋が使えなくなり床に布団を敷いて当座をしのいでいるのでマットがあれば助かる、浄化槽が壊れてしまった、水道が漏水しているなどの問題があり、皆さんお風呂が使えないというのが共通の課題でした。対応できる分はそれぞれの対策本部に連絡を取り要望をしました。

写真は、地震のすごさを示すヒビ、地盤沈下。


写真は、要望をすぐ勿来対策本部にと今日も訪れました。

いわき市の海岸線と漁港を歩き、皆さんの要望を聞きました

26日、勿来地域の海岸線を歩き、昨日からはいわき市の全海岸線と漁港を歩きました。歩いたのは、小名浜・永崎・江名・豊間・薄磯・四倉・久ノ浜などです。大小はありますが、津波は本当にひどかったです。漁業はこれからどうなるか、住民の暮らし支援と漁業には国の支援が絶対的に必要です。一番ひどと思われたのは、薄磯海岸の集落です(薄磯は別ブログで)。久ノ浜も津波と火災で壊滅的でした。久ノ浜は原発に近いということもあって住民の姿はあまり見えず、消防・警察・自衛隊が行方不明者を捜索してました。

写真は、小名浜・見る影もないアクアマリンとその周辺。


写真は、小名浜高校。


写真は、腹を出して沈んだ船。

思い出を探す薄磯の皆さん・県いわき対策本部激励

26日、やっといわき市の海岸線をほとんど歩きました。住民の3分1が死亡したり行方不明になったりした薄磯集落は、重機が入って道なども確保されていました。でも、ここは30人以上の方々がまだ行方不明です。昨日は子どもの遺体が崩れた家の中から発見されて、お母さんが泣きくずれていました。一緒に行った渡辺博之市議は眠れなかったといいます。渡辺市議は、今日は水が出ないこの地区の皆さんに何とかお風呂行ってもらおうと奮闘していました。この地区は、区長さんも会計さんも民生委員さんもなくなったといいます。みんながまとまって入居できる避難住宅が確保できないかと要望をいただきました。

写真は、家族の写真や思い出を探す住民の皆さん

写真は、一面瓦礫の山の集落。

写真は、破壊された堤防。


写真は、県のいわき災害対策本部を激励。対策本部前の緊急備品。

早く操業にこぎつけたい・県漁連・いわき漁連

25日、県漁連といわき漁業組合を訪問しました。
県漁連では、大型・小型の船舶の半分は残ったので(500隻)漁業をする気になればできる状況にある、港の修理や市場の運営ができるようにしてほしい、また、風評被害のことも心配してました。小規模でも操業可能なので、原発問題を早く収束してもらって一部でもいいから操業したいといいます。
地震保険は船舶だけしか入っていない、また、新たに船を作れば3割くらいにしかしかならず、(古くなっている査定なので)再建は大変だとのこと。
県はもちろん国の大きな支援が必要です。水・電気の早期手当てもお願いしたいとのこと。

写真は、お見舞いを申し上げ要望を聞きました。

市民要望で勿来災害対策本部に・津波の被害調査に勿来海岸

24日、勿来災害対策本部に水道の給水状況の調査や要望などで訪問と激励に。小宅(支所長)本部長は、避難所生活が長引く中で、耳かき・歯ブラシ・食べ物では果物などに要望が変化してきている、支援物資の内容にミスマッチがあることなどの報告をしてくれました。本部の黒板には、お風呂サービス・給水情報などが記入されてました。
その後、勿来関田地区の海岸線に沿って、津波の調査と住民の方々にお見舞いを申し上げました。津波に追われ命がけで避難した方のお話を聞き、津波で家が壊され泥掃除にくたびれ果てている方を激励しました。

写真は、水道の給水確保など市民要望を持って勿来対策本部で懇談

 

写真は、縦4、6m×横2、6m×厚さ0、3メートルのコンクリート堤防の底部が持ち上げられ流された状況(2枚)

写真は、地元の方から津波の様子を聞きました(2枚)


写真は、暴れた海、今は青く静か