夏草に覆われた浪江町の災害現場・災害放射性廃棄物の現状と街の被害調査(1)

19日、日本共産党市田忠義参議院議員の秘書と原発20キロ圏内の警戒区域内の浪江の街の被害状況と災害放射性廃棄物の現状調査に参加し、帰庁後に県の担当の方と懇談をしました。
浪江の街はすっかり夏草に覆われ家々の跡も見えにくく原野と化していました。案内をしていただいた浪江町の植田和夫住民生活課長の説明では、浪江の海側の瓦礫はおよそ18万トン、船は8隻は津波から逃れたが100隻は失ったといいます。また、浪江街全体では184人が死亡行方不明になって、まだ32人見つかっていないとのこと。
あれほど混んで流れの悪かった6号国道は、人っ子一人いず、車もなく、まるで別世界のような不気味さでした。壊れた誰もいない家々を見て原発事故の罪深さを思いました。

写真は、準備をして出発。左から、市田書記局長秘書、藤川・宮川・神山の各議員、馬場浪江町議、浪江町住民生活課の植田課長

写真は、夏草に覆われた400戸の住宅があった災害現場

写真は、海のすぐわきの請戸小学校、近くの原発では16メートルの津波が

写真は、何にも持たずに走ってこの道を避難した請戸小学校の子どもたちは全員無事

写真は、海の脇のマリンパークから見たがれきの山

写真は、行方不明者の捜索で海底の泥をさらう請戸漁港の重機

写真は、最後の除染

写真は、終わって県の担当者から放射性廃棄物対策問題の懇談